たくさんの素早い線が、まるでヴェールをかけるように女性の輪郭を形づくっています。しかし、その姿は、次の瞬間にはどんどんデフォルメされ、完全に夕闇に溶け込んでしまいそうで、なんだかとても不安になります。本のページをめくりながら、彼女の意識はそこになく、どこかもの憂げな視線をじっと画面のこちら側に向けているのです。
作者のウンベルト・ボッチョーニ(1882-1916年)は、イタリア未来派を代表する画家であり彫刻家でもありました。そして、ヨーロッパで最も活発で、力強く活動した前衛芸術家だったと言えます。
イタリア未来派とは、フォーヴィスム、キュビスムと並ぶ20世紀初頭の最も重要な芸術運動であり、1909年に詩人マリネッティによって開始されたものでした。その主たる眼目は、イタリア美術に広まるアカデミー尊重主義と訣別し、近代性や科学技術、機械の力などを支持するというものでした。「躍動」という観念が未来派の美術家たちの中に内在し、彼らは「ダイナミズム」という概念を展開したのです。それは、いうなれば活躍中の人間、もしくは機械の再現という概念でもありました。そしてそこには、19世紀末の文化・社会の名残を捨て去ろうとする、新しい時代のスピード感と力強さが象徴されていたのかもしれません。
そうした中で、未来派の様式としては、キュビスムの画家たちからは重複する平面の要素、新印象派からは分割描法の要素を借用したものでした。「分割描法」とは点描法を意味していましたが、ボッチョーニは未来派の指導的画家バッラから、この分割手法を学んだのです。
しかし、この作品は、ボッチョーニがまだ本格的な未来派の運動を展開する少し前、後期印象派や分離派ふうの装飾的な作品を描いていたころのものなのです。
ボッチョーニは、家族の肖像、特に母や姉妹を繰り返し描いています。ここに描かれているのもまた彼の姉妹であり、画家がこだわり続けた主題への試みの一過程を見ることができるようです。特に色彩を分割するという彼の手法はこの女性に心理的、表現的なビジョンを与えています。細やかな、揺れ動く光をとらえたボッチョーニの繊細な神経が隅々にまで行き届き、消え入りそうでいて、彼女は確かな存在感をもって私たちに語りかけてくるのです。
レースのカーテンの向こうに、これから画家が歩もうとする世界が開け始めようとしています。この作品の9年後、突然の落馬事故によって理不尽に彼の情熱が断ち切られるまで、ボッチョーニの画面はもっと鮮やかで、震えるような色彩で埋め尽くされていくのです。
★★★★★★★
ヴェネツィア、 カ・ペーザロ近代美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ、宮下規久朗編 日本経済新聞社 (2001-02出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)