画面のほぼ中央を占める女性の後ろ姿が窓から入る光を遮り、室内はひんやりとした空気に満たされているようです。傍らで新聞に目を落とす夫、背を向ける妻……鑑賞者は、その場の雰囲気を敏感に感じ取り、女性の顔が見えないことに、ふともどかしさを感じてしまうのです。
18世紀の革命以前のフランスでは、家長が絶対的な力を持つ大家族という形態が普通でした。そして、いわゆる核家族が理想的な家族像とされるようになったのは19世紀に入ってからです。それは、新しい産業社会の中で、都市生活者の生活習慣にも最も合致したものだったと言えます。夫が外で働き、妻は家を守って夫と子供の世話をする。それは次第に一般化し、ブルジョワ階級の典型的で幸せな家族の姿として定着していったのです。
ところが一方で、個々の家族の中には、微妙な心理的距離感が生じることもあったようです。大勢の人間たちが絶えず関わり合う大家族とは違い、父、母、子供が愛情によってつながり合う家族はあまりにも関係が密で、かえってそれが息苦しいものとなったことも頷けるような気もします。
そうした人々の孤独感を、カイユボット(1848―1894年)は鋭敏に察知していたようです。繊維織物商を営む大ブルジョワの家庭に生まれた彼は、もしかすると、こうした夫婦、家族を多く見ていたのかもしれません。この作品の中の二人も一生懸命に働き、家族の世話をし、子供への教育も十分に怠りなくこなしてきた夫婦に違いありません。しかし、いつの間にか夫婦の心はすれ違ってしまったように見えます。妻の後ろ姿は寂しげで、できればこの状況を打開したいと考えているかもしれません。しかし、そんな彼女のひそやかな願いを封じ込めるように、レースで縁取られた窓はぴったりと閉じられたままです。近代社会は効率のよい生活と引き換えに、都市に生きる人々にある種の孤独をもたらしてもいたようです。
だから……というわけでもないのでしょうが、1894年に45歳という若さで亡くなるまで、身の回りの世話をする女性はいたものの、カイユボットは生涯独身でした。ただ、彼はその他のことに多忙だったと言えます。モネの「ジヴェルニーの庭」をしのぐほどのガーデニング、自らボートの設計まで手掛けるほど熱中したボート競技への参加、さらには地元の議員活動、公共施設の改善など、彼を夢中にさせるものは生涯、尽きなかったようです。
裕福だったために自分の描いた作品を売る必要がなく、画家としてよりも、むしろ印象派仲間のパトロンとして有名なカイユボットでしたが、その計算され尽くした空間構成、確かな筆致は、実は他の印象派の画家たちの比ではありませんでした。特に、こうした都市生活者としての目がとらえた光景はあまりにも今日的でシャープな感覚に貫かれ、見る者にしばしば言葉を失わせてしまうのです。
★★★★★★★
個人蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎印象派美術館
島田紀夫著 小学館 (2004-12出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)