フランスの宮廷参事官であり、美術愛好家だったバルタザール・ド・モンコニーがはるばるフェルメールを訪ねたとき、何と画家は自分の作品を1点も持ち合わせていなかったといいます。
寡作だったあまりに手元になかったのか、それとも人気作家だったがゆえに描くそばから売れてしまっていたのでしょうか。フェルメール研究の第一人者である小林頼子さんは著書の中で、おそらく、その両方だったのだろうと書いています。そんなところからも、いまだ謎の多いフェルメールの生活の一端が見えてくるような気がします。
ところで、フェルメール家で絵を見られなかったド・モンコニーは、しかたなく近所のパン屋の所蔵する作品を見にいったといいます。そのときに見た作品が何かはわからないのですが、彼の感想は興味深いものでした。「一人の人物しか描かれていない作品なのに、このパン屋は600ギルダーも払った。私には60 ギルダーでも高すぎるように思える」と日記に記しているのです。それはフェルメール作品の持つ世界が、ド・モンコニーにとっての風俗画とはかけ離れていたという一つの証しと言えるのかもしれません。
そんな彼に、もしこの作品を見せたら、いったいどんな感想を漏らすのでしょうか。少女が一人、暗い背景の中でこちらをじっと見つめています。
このタイプの作品はフェルメールにしてはとても珍しく、人気の高い「真珠の耳飾りの少女」(青いターバンの少女)と合わせて2点があるだけです。しかもポーズもほぼ同じ….。ただ、この作品のほうが、モデルの表情、そして描かれているという意識がはっきりしているように感じられます。
前出の小林氏によると、どちらも特定の人物を描いたものではなく、“トローニー”と呼ばれる、単なる人物の頭部像なのだということです。肖像画というジャンルへのフェルメールなりの試みということでしょうか。
しかし、詮索好きな絵画ファンとしては、ついつい人物の特定をしたくなってしまうものです。同じように真珠の耳飾りをつけていながら、なぜこんなにも二人から受ける印象が違うのかも、考え始めるととても楽しく、そしてフェルメールという画家の謎がますます深まっていくのを感じます。
目と目の間が少し離れ、唇が薄いところが何とも親しみやすく可愛らしいのに、少女は不思議なヴェールに包まれたように見えます。異世界の入り口で明るく振り返った彼女は、大振りな衣装の量感の中に埋まってしまいそうです。ただ、その筆触に少し、繊細なフェルメールらしくない印象が残るのは、もしかすると後年、違う画家によって手が加えられたためなのではないかという気がします。
★★★★★★★
ニューヨーク、 メトロポリタン美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎フェルメール―大いなる世界は小さき室内に宿る
小林頼子編著 六耀社 (2000-04-19出版)
◎フェルメールの世界―17世紀オランダ風俗画家の軌跡
小林頼子著 日本放送出版協会 (1999-10-30出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)