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「居眠りをする老婆」

ニコラース・マース (1611-14年)

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 読書するうちに、疲れて居眠りを始めてしまったのでしょう。その傍らには聖書が開かれ、レース編みに使うボビンも置かれていますから、老婆は一日じゅう、何かと忙しくしているのでしょう。
 彼女の顔に刻まれた皺は一本一本、丹念に描き込まれています。血管の浮き出た手の描写もみごとで、画家の技量が感じられます。

 17世紀オランダの風俗画において、居眠りする人々はしばしば描かれたテーマでした。そこには、はっきりとしたメッセージが込められています。眠っている間、人々は労働を放棄していますから、怠惰や慎みの欠如に対する警告なのですが、聖書の後ろの赤い砂時計は最もわかりやすい象徴かもしれません。時はどんどん過ぎ、人はどんどん老いていきます。時間を浪費してはならない、とこの画面全体が警告を送っているようです。
 しかし、生の時間が残り少ないとはいえ、疲れた老婆のひとときの休息も罪悪だなんて、それは少しひどいのではないかという気がします。当時、眠りの原因が過度の飲酒にあると認識されていた社会背景もあったのかもしれませんが、この老婆は大酒飲みのようにも見えません。
 質素な部屋は、孤独な老婆に悲しいほど似合っているように思えます。彼女は、現世的な存在というより、むしろ冥界に近い霊的な存在のように思えます。傍らに広げられた聖書は旧約の「アモス書」です。アモスは運命の預言者と言われました。神は道徳的堕落の犠牲となる人類への警告のため、彼を世に送り出したと言われています。彼女は、身をもってそれを示すアモスその人なのかもしれません。

 作者のニコラース・マース(1634-1694年)は17世紀オランダで人気を博した肖像画家でしたが、前半生は風俗画家として活躍しました。1650 年ごろ、アムステルダムでレンブラントに師事していますが、これはマースの生涯と作品に大きな影響を与える出来事でした。レンブラントから受け継いだダークカラーの使用と明暗の劇的効果が彼の作品を印象深く、味わいのあるものとしていったのです。
 しかし、レンブラントと決定的に違ったことは、マースが家庭的な場面を多く描いたことでした。一人か二人の人物からなる静かな室内の風俗画は、マース独特のものでした。彼の雰囲気は、デルフトのフェルメールやデ・ホーホに大きな影響を与えたと言われています。
 マースは風俗画の中でも特に、婦人の家庭内での仕事、母と子供、老婦人などを多く描きました。眠る老婆の主題も多く制作しています。ただ、それは風俗画にありがちな賑やかさ、コミカルな比喩に満ちたものとは少し違っていました。静謐な明暗の中に描き出される彼女たちは寡黙で、神の恩寵のような安らぎとともに、永遠に眠り続ける彫像のようにさえ感じられるのです。

★★★★★★★
ブリュッセル、ベルギー王立美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋名画の読み方〈1〉
       パトリック・デ・リンク著、神原正明監修、内藤憲吾訳  (大阪)創元社 (2007-06-10出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)



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