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「嵐」

ジョルジョーネ  (1505年)

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 『嵐』と表記するよりも、もしかすると『テンペスタ』と言ったほうが耳に馴染み深い作品かも知れません。
 嵐は古来、神の荒々しい顕現や神々の意志を伝えるシンボルとされてきました。そして、キリスト教圏において稲妻は、最後の審判を象徴するものでもあったのです。

 それまで、風景画といえば、たとえばジョヴァンニ・ベッリーニの『法悦の聖フランチェスコ』に見られたように、どこか神の目を通して語られる風景のような趣を持っていました。大自然の神々しいまでの美しさに恍惚とその手のひらを広げる聖人、といったような…..。
 しかし、この作品の中の人物たちは、やや異教的に存在します。近づきつつある嵐を予感しながら、特に怖れるふうでもなく、人ごとのように今この場に在ることを受け入れているようです。しかも、そこには諦め、悲愴感、憂鬱、または喜び、期待….といった類の、要するに、何の感情も私たちは読み取ることができません。ただ、こちらを凝視する女性の印象的な視線に捉えられ、かすかなときめきさえ覚えてしまうばかりです。
 それにしても、彼らは何者なのでしょう。向かって左端に立つ若い男性は兵士のようです。そして右側に座る裸身の女性は、生まれて間もない赤ちゃんに乳を含ませています。二人は同じ空間に存在しながら、互いに目を合わすことはありません。永遠にそれぞれの思いを抱いて、まったく違う方向を見つめ続けているのです。この絵は三人の関係も、また、この光景が意味するところも、何一つ説明してはくれません。ただただ遠く雷鳴だけが響き、緑豊かな美しく繊細な風景が、このうえなく瑞々しく広がるばかりです。

 しかし、敢えてテーマが不明であるというあたり、いかにもジョルジョーネらしい秘密めいた魅力に満ちています。彼は若いコレクターたちの私的コレクションのために小型の油彩画を多く描きましたが、この作品もまた、限られた愛好家のサークルで行われる絵解きの楽しみの為に描かれたものだったのかも知れません。もともとは、ヴェネツィア貴族ガブリエーレ・ヴェンドラミンの所有でした。
 謎めいて、それでいて親密な82×73㎝の作品は、ヴェネツィア派絵画の巨匠と言われながら夭折したために作品数も少なく、しかも署名することすらめったになかった伝説の画家ジョルジョーネらしい趣に満ちていると言っていいかも知れません。

 この幻想的な作品は、主題が明らかでないばかりに、ずっと議論の絶えることがありませんでした。古代神話の中のパリスと羊飼いの妻であるとか、ユピテルとイオであるとか、旧約聖書のアダムとエヴァであるとか、また慈愛の寓意であるとか、今でも20以上の解釈がなされています。ですから、ここでもちろん、答えが出るわけではありません。
 ただ17世紀オーストリアのホーベルク男爵は『預言者ダビデ王の遊歩薬草園』の中で、次のような詩を書いています。
「雷鳴がとどろき嵐が迫ると/小鳩は岩穴に身を隠す。/敬けんな人々もまたそれに似て、/よし災いに襲われるとも/キリストの傷の中に隠れて安全なり」。
 これから自分たちを呑み込もうとする嵐を予感しながら、超然とした態度を崩さない二人と幼な子の姿は、もしかすると詩情の画家ジョルジョーネの描く、新しい聖家族の姿なのかも知れません。彼らは、揺るぎない信仰と安らぎのなか、画面のなかからこちらに向かって無言の語りかけを続けているのかも知れないのです。

★★★★★★★
ヴェネツィア、 アカデミア美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎イメージを読む―美術史入門
        若桑みどり著  筑摩書房 (1993-01-10出版)
  ◎絵画を読む―イコノロジー入門
        若桑みどり著  日本放送出版協会 (1993-08-01出版)
  ◎世界名画の旅〈3〉イタリア編
        朝日新聞日曜版世界名画の旅取材班著  朝日新聞社 (1989-06-20出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)  



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