限りなく穏やかな光と色彩の響き合う、優しさと美しさと、そして不思議な解脱の相さえうかがえるキリストの姿です。
美術史家ヴィルヘルム・フォン・ボーデは、「創作においてレンブラントはキリストの使徒である。いかなる他の芸術家も、この点において彼に匹敵することはできない」と述べています。そして、イタリアの人々は教会によって福音書を知ったが、オランダ人はレンブラントの芸術によって、その知識を聖書から汲み取った…..と。現実のオランダの市民の生活の中に、キリストの心を見いだし、宗教画の世界にまで高めたレンブラントの偉大さが率直に伝わってくるような言葉です。
ところで、レンブラントは単独のキリスト像を、いったい何点描いているのでしょうか。人によって意見の分かれるところですが、ほぼ10点以上というのが大方の見方のようです。そしてそれが1640年代末と56年頃、60-61年頃の三つの時期に集中しているのも特徴かも知れません。
この作品、杖を携えて画面の外に視線を投げるキリスト像は、1661年の作品で、レンブラント55歳の時のものです。この時期、客観的に見たときには、レンブラントは決して幸福な状態にはなかったと思えます。すべての財産を失い、アムステルダムの貧しいユダヤ人区での暮らしを余儀なくされているのです。しかし、このキリスト像を見るとき、40年代の頃に見られた苦悩するキリストとは異なる安らぎの表情に、私たちはうたれます。ここには、レンブラントの円熟と自由な画境が偽りなく表現されているようです。
聖地を目指して旅する巡礼者の姿をしたキリストは、決して威厳に満ちた姿も、超人的な相もとってはいません。ただひたすらに自己の内面を見つめ、自己の生命を深く深く呼吸する、血のかよった人間そのものの姿として描かれています。ここにいるのは、もしかすると、キリストの姿を借りたレンブラント自身なのかも知れません。その生涯に100点近い自画像を描いた画家の、そのときの心情をそのままキリストに投影した、ある意味での自画像と言えそうな気がします。
財産的苦境にあったレンブラントでしたが、その中で彼を支えたのは妻ヘンドリッキェと、先妻サスキアの遺児ティトゥスの献身的な愛と優しさでした。レンブラントが心ゆくまで制作に専心できるように、二人は考えをめぐらせ、トンネル会社的な画商を開業してレンブラントを顧問にすえ、本来債権者に渡るべき絵の売上金が画家の給料として支払われるようにしたのです。この巧妙な手段によって、レンブラントは債権者から護られました。
ようやく心の落ち着きを取り戻し、世間のさまざまな好奇の目、世評から解放されたレンブラントは、自由な画境を深めていきました。そんな時期の一作であり、キリスト像なのです。
ほのかな光を受けたキリストは画面の中に輝き、限りなく静かな表情で巡礼の杖を両手の中にしっかりとにぎりしめているのです。
★★★★★★★
ニューヨーク、 メトロポリタン美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎昔の巨匠たち―ベルギーとオランダの絵画
ウジェーヌ・フロマンタン著 白水社 (1992-02-20出版)
◎レンブラント―光と影の魔術師
パスカル・ボナフー著 創元社 (2001-09-20出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)