恍惚とした表情で、ゆったりとタバコをくゆらせる女性の、指先から立ちのぼった煙は鋭角的に「JOB」の文字の後ろへ流れていきます。それがいかにも装飾的に描かれることで、作品を華麗に引き立てています。女性の髪は生命を持つもののように美しくうねり、画面のこちら側にまで伸びてくるようです。そして、背景に用いられた鈍い金色が彼女の肌の色、そして髪の色にも呼応して、彼女が手前に浮き出るような効果を生み出しているのです。このように夢見るような女性像は、パリ時代のミュシャの最も得意とするところでした。
パリで華やかな女性たちを描き、人々に愛されたアルフォンス・ミュシャ(1860-1939年)が本格的な美術教育を受けたのは25歳のとき、曲折を経てミュンヘンの美術アカデミーに入学したときからでした。
しかし、彼の絵を気に入ってくれていたミクロフの大地主クーエン伯爵の援助が打ち切られると、勉強の続行は経済的に不可能となり、パリで本の挿絵など、商業的な絵を描くようになります。これが、ミュシャを一気に人気画家に押し上げるきっかけとなります。
やがて1895年、人気女優サラ・ベルナールの依頼で彼女のポスターを制作し、画家は一躍、時代の寵児となるのです。そこから、装飾パネル、カレンダー、ポスターなどのグラフィック作品を次々とこなし、ついにアカデミーで絵の教師を務めるまでに揺るぎない地位を築いていきます。
商業用のポスターやパッケージの注文が引きも切らなくなったころ、ミュシャはレストラン、鉄道会社、酒造会社、菓子製造会社など、あらゆるジャンルの会社の宣伝デザインを手掛けています。
「JOB」は、紙巻きタバコ用の巻紙を製造する会社でした。彼はジョブ社の宣伝ポスターを2点制作していますが、これは最初のものです。洗練された都会の女性がタバコを楽しむ姿に、人々は魅せられたに違いありません。パリの壁は、ミュシャの描いた美しい女性たちによって、華やかに飾られました。街は美術館になったのです。
ところで、ミュシャの描く女性のファッションやヘアスタイル、髪飾りやアクセサリーは、当時の女性たちに大きな影響を与えました。チェコ生まれのミュシャは、教会に通いながら、聖堂を飾るビザンティン様式のエキゾティックな美術に親しみ、その造型センスをパリの街で開花させたのです。
彼は、作品の中の女性たちの豊かな髪や華麗な衣装に、異国情緒に満ちた豪華で気品ある装飾を施しました。果物や花や星々をイメージした美しい髪飾りやイヤリング、ネックレスは、当時の女性たちが自分も身に付けてみたいと願わずにはいられない魅力にあふれていたのです。実際、サラ・ベルナールなどは、ミュシャがポスターに描いたとおりのブレスレットを作らせたほどだといいます。当時のファッション・リーダーたちは、こぞってミュシャ作品を真似たに違いありません。
装飾美術の注文があまりに多く、次第に手の回らなくなったミュシャは、とうとう出版社の提案を受け入れ、他のデザイナーの参考になるようにと、1902年、自ら考案した装身具のモティーフを細部にわたるまで克明に描いた、『装飾資料』という本を出版しています。
★★★★★★★
川崎市市民ミュージアム 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎アルフォンス・ミュシャ波乱の生涯と芸術
ミュシャ・リミテッド編・島田紀夫監訳 講談社 (2001-09-15出版)
◎アルフォンス・ミュシャ―アール・ヌーヴォー・スタイルを確立した華麗なる装飾
島田紀夫著 六耀社 (1999-12-10出版)
◎週刊美術館 5― ミュシャ/ビアズリー
小学館 (2000-03-07発行)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)