ここには何の変哲もない日常生活のひとこまがあります。
大きなパンの塊を小脇にかかえ、もう一方の手には鶏の脚がのぞく包みをぶら下げて市場から戻った女性が、食器棚にどっこいしょ・・・という感じでパンを置いて、ホッと一息ついているところです。きっと、よほど腕が疲れたのでしょう。そのままの姿勢でじっと食器棚に身をあずけながら、隣りの部屋にいる女性に市場の様子を話しているのかも知れません。
それにしても、彼女の腕のたくましさには目を見張るものがあります。優雅さとは無縁ですが、堂々としてたくましい庶民の女性がシャルダンのもつ造形性に裏付けられて、存在感ある充実ぶりで表現されています。足元の瓶のうちの一本が横倒しになっている様子も、いかにも日常生活の中の断片・・・という感じで、平凡な女性が精一杯今日を生きている様子が、深く豊かに描かれています。
また、彼女のエプロンの青、ブラウスと頭を覆った被り物の白が、パンや家具や包みを彩る褐色系の色彩から浮き上がっていますが、ともに同じ色調で表現されているので、全体的にまとまった印象になっているのも、シャルダンの腕の確かさを物語っているようです。
ところで、シャルダンは家具造り職人の家に生まれました。職人になるのが当たり前のような環境に育った彼の家は、おそらく仕事場と物置と台所がつながっている石造りの家だったのではないでしょうか。それを思うと、この作品に描かれたような家だったのではないかという気がします。シャルダンは、このたくましい女性の姿に、職人の妻として働き続けた母の姿を重ね合わせていたのかも知れません。
職人の子であり、王立アカデミーの付属教育機関に籍を置くことのなかったシャルダンが描いたものは、いつも彼が手を触れることのできる物たちや人たちでした。こうした物たちは、つねに物理的に身近であったと同時に、シャルダンの精神世界にゆったりと属してもいたのです。
日常的な親密さを失うことなく、シャルダンが描く対象はその存在の重みを増し、いつか威厳に満ちた光をたたえるようになっていったのです。
★★★★★★★
パリ、ルーブル美術館蔵