夢幻的で、この上なく美しく清らかな礼拝の図です。
憂いを含んだ表情の父なる神と精霊の白い鳩、そして、その鳩から真っ直ぐに伸びる一本の光の先には、花の上に寝かされた幼児キリストの無邪気な姿があります。ここに、見事な聖三位一体が描き出されています。愛らしい、いかにも赤ちゃんという風情のキリストは指をくわえて、早くお母さんに抱っこしてもらいたいと望んでいるように見えます。
傍らで礼拝するのは、洗礼者ヨハネと聖ベルナルドゥスです。幼児キリストとよく似た面差しの少年ヨハネは、動物の毛衣のかわりに綺麗な赤い衣を身につけています。もう一人の聖ベルナルドゥスは、若くしてフランスのクレルヴォーに修道院を創立した、同時代の傑出した精神的指導者でした。シトー会の白い修道服が特徴的です。
それにしても、なんと幻想的な場面でしょう。鬱蒼とした森の中にはかすかに霧が流れ、階段の様をなした岩は、まるで薄く削った板チョコのようにカールして、重さを感じさせません。それは、まるで、聖母の頭部を飾る薄いヴェールの繊細さに呼応するようです。
この幻想性は、新旧様式の交錯するメディチ家支配の時代の趣味を、よく表していると言われています。それは、ジョットやマザッチョによって拓かれた、現実感に満ちたルネサンスという革新的な芸術の潮流と、貴族趣味で優雅な旧来の国際ゴシック様式の間で揺れ動いた芸術家たちが、伝統と革新を融合させて、独自の世界を築こうと模索した時期だったことを意味しています。
優美な画面と生き生きとした人物表現が、フィリッポ・リッピという画家の魅力であり、この時期の特徴でもありました。
フィリッポ・リッピ(1406-1469年)は、15世紀前半のフィレンツェ派を代表する画家の一人です。幼くして両親を失ったため、カルメル修道会に入り、1421年には修道士となる誓願を立てています。しかし、奔放な性格のリッピは、しばしばスキャンダルを巻き起こしました。中でも、修道女ルクレツィア・ブーティとの恋愛事件はよく知られています。そのあたりが、ドミニコ会の敬虔な修道士画家であったフラ・アンジェリコとは対照的でしたが、フランドル絵画との接触から生み出された流麗で美しい線描と独特の親しみやすい画風は、リッピならではのものでした。
なお、ルクレツィア・ブーティとの間には、のちに画家となるフィリッピーノ・リッピをもうけています。
この作品は、コジモ・デ・メディチの注文で描かれ、メディチ家の礼拝堂に置かれた祭壇画でした。メディチ邸の礼拝堂は、個人の邸宅内につくられた最初の礼拝堂のひとつとして知られ、宝石箱のような美しさだったといいます。
現在、礼拝堂には、ウフィッツィ美術館にあったリッピ工房によるレプリカが置かれています。1494年にメディチ家が追放されたとき、この祭壇画は政庁舎に運ばれ、同家が復帰してからも、礼拝堂に戻されることがなかったという事情があったからなのです。
★★★★★★★
ベルリン、 国立美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社(1989-06出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001-02出版)
◎ルネサンス美術館
石鍋真澄著 小学館(2008-07 出版)