この美しい後ろ姿を見せる女性は、古代ギリシャの女流詩人サッフォーです。
彼女の生涯は、今でも伝説の域を出ませんが、富裕な商人であった夫とともに各地を旅行したと言われ、クレイスという名の娘をもうけた後、夫と死別。その後は、寡婦を通し、もって生まれた才能を生かして詩作に励んだとされています。
サッフォーは、恋愛詩人として知られました。古代ローマ、「アウグストゥスの世紀」に生きた詩人オウィディウスは、抒情詩「愛について」の中で、サッフォーがあらゆる国々で知られている女性であると述べています。さらにサッフォーは、若い娘たちのために、今でいう学校のようなものを開いて、教育者としての顔も持っていました。
そんなサッフォーが、これから一日の疲れをとるために床につこうとしています。その前に、寝酒を一杯…というところでしょうか。くつろいだ後ろ姿の肌の滑らかさに、目を奪われます。
作者のシャルル・グレール(1806-74年)は、19世紀のジュスト=ミリュー(中庸派)の画家です。叔父の織物工場で装飾美術を習得し、パリに出てから水彩画を学び、ローマ留学でナザレ派などの影響を受けています。その後、ギリシャ、トルコ、エジプトなどを旅行し、病を得てパリに戻ってからは、友人のドラローシュのアトリエを引き継いで、多くの生徒を育てました。
実は、グレールといえば、今では、モネ、ルノワール、シスレー、バジール、ホイッスラーら、印象派のメンバーの師として名が挙がることの多い画家です。19世紀半ばになると、パリには多くの私設の画塾ができ、デッサンの基礎や彩色を学ぶことができるようになっていました。その中でも、シャルル・グレールの画塾は、600人以上の学生たちを抱える大所帯だったのです。
グレールはリベラルな教育方針の持ち主で、新しい絵画手法にもかなり理解があったといいます。その上、アトリエの運営費のみを徴収して授業料をとらなかったのですから、若い画家たちに人気があったのも無理ありません。ただし、デッサンを重視し、遠近法と解剖学を重んじるグレールの教えは、きわめてアカデミックなものでしたから、革新的なモネなどは、すぐに嫌気がさしてしまったとも言われています。
そんなグレールの画風はアングル風の優雅さが特長で、美しい神話画が知られています。筆跡を感じさせない画面の滑らかさ、そして夢幻的なロマン派風な雰囲気も、グレールならではです。しかし、その一方、オイル・スケッチをすすめ、屋外での写生を重視した教授法で、のちの印象派の画家たちに多大な影響を与えたことも特筆すべきことでした。
ところで、サッフォーの部屋の調度品を見ると、当時の東洋趣味の香りがいっぱいに満ちているのがわかります。
グレールは、ローマ滞在の折、フランス・アカデミー館長のオラーヌ・ヴェルネから中近東の美術を学んでいます。また、ボストン出身の考古学者J・ローウェルとギリシャ、トルコ、エジプトを旅行していますから、このあたりで、本物のオリエンタリスムの洗礼を強く受けたに違いありません。
そんなグレールのつくる画面は、ロマンティックな東洋の夢を見ているように甘やかな美しさに満ちています。
★★★★★★★
スイス、 ローザンヌ州立美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社(1989-06出版)
◎印象派美術館
島田紀夫著 小学館 (2004-12 出版)