背中を見せて、おもちゃの船で遊ぶのは、おそらくモリゾの娘、ジュリー・マネでしょう。そして、一心に縫い物をする女性はモリゾ自身ではなく、乳母ではないかと思われます。この時期、モリゾは乳母と娘をモデルに、多くの母子像を描いています。
しかし、ここに描かれているのは、単なる優しい母性愛の図ではありません。母は子供に背中を向け、自分の仕事に専念しています。子育てという重労働にかかりきりの母の姿とは違う、自分の世界に生きる女性が描かれているのです。
一見、子供に無関心な母親のように感じられます。しかし、彼女の全身から伝わる緊張感は、背後の我が子への気遣いに満ちています。子供に間違いがないように、一人で池に落ちたりしないように…と、何か異変があればさっと行動ができる心構えが、きちんとできているのです。ここに描かれているのは、まさに新しい時代の聖母子像と言ってもいいかもしれません。
こうした視点は、もしかすると女性画家ならではのものかもしれません。母親にも子育て以外の自分の世界があり、家事や育児以外の顔も持つという発想が、男性画家には難しいような気がします。母子像といえば、どうしても我が子を抱く美しい母親…。不思議なことに、そんな古典的な構図だけは、変わることなく続いてきたのです。
ベルト・モリゾ(1841-1895年)の作品には、女性画家の抱える苦しみが、無言のうちに込められているような気がします。19世紀後半になっても、美術界は男が牛耳る世界であり続けました。女流画家たちはヌードのデッサンなど許されず、写生のための外出さえままならなかったのです。そんな時代にあって、経済面においては生計のために作品を売る必要に迫られず、自由に描くことのできる条件は満たされていても、また、マネを初めとする印象派の友人たちを、むしろ援助できる境遇であっても、画家としてのプライドは、どこか満たされないままだったのではないでしょうか。
しかし、モリゾは決して、声高に自らの考えを主張するようなことはありませんでした。彼女は彼女の仕事を確実に続けたのです。粗いタッチで描かれたこの作品にも、モリゾの凛とした制作への姿勢がうかがえます。庭の緑に包み込まれた二人は、優美な雰囲気を生み出す可愛いトンド(円形画)風の世界の中で、和やかに静かに時の流れを受け止めているようです。緑は微妙に色調を変え、濃さを変えながら生き生きと塗り重ねられていき、モリゾの、幅の広い色彩への感覚が、この小さな世界にも心地よく凝縮されているのです。
★★★★★★★
スコットランド国立美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派美術館
島田紀夫監修 小学館 (2004-12出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)