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「律法の板を砕くモーセ」

ベッカフーミ (1537年)

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 怒りにふるえ、鬼のような形相のモーセが石板を叩き割ろうとする、まさにその一瞬が、超現実的な色使いのなかに劇的に描き出されています。人々は一瞬静まりかえり、恐怖と畏怖の視線がモーセに集中します。これは、ユダヤ民族の偉大な指導者にして立法者であるモーセについて語る「出エジプト記」の中の「十戒の授受と黄金の子牛礼拝」の一場面です。

 エジプトを去って約束の地への旅に出発してから三カ月。イスラエル人たちはかつてモーセが“燃える柴”から神の声を聞いたシナイ山に到着します。そこでモーセは山に登って、戒律が記された二枚の石板を神から授かるのです。そこには、神の自らの手になるへブライ文字で、十の戒めが書かれていました。有名な十戒です。
 ところがモーセが不在のあいだ、彼がなかなか帰って来ないことに不安を感じた人々は、モーセの兄アロンに新しい礼拝用の偶像を求めるようになりました。根負けしたアロンは彼らの金の装身具を集め、黄金の子牛を作り上げ、それを祭壇に祭ります。つまり、別の神として礼拝するようになってしまったのです。
 戻ったモーセは、この偶像崇拝、神を冒涜して浮かれ騒ぐ人々を目の当たりにし、怒りを爆発させます。そして授かったばかりの石板を叩きつけて黄金の子牛を破壊してしまいます。その後、彼は再びシナイ山に戻り、神から新しい石板を授かるのですが、この事件で、人々には礼拝用の具体的な対象が必要であることを悟ります。そこで、二体の金のケルビム(智天使)に守られた金メッキの「約束の箱」を作り、その中に石板を納めたとされています。

 人間の心の弱さ、頼りなさを嘆くモーセの表情は本当に怖ろしく、そして悲しげでもあります。もしかすると、最初に授かりながら叩き割ってしまった石板には、今のイスラエルの民に授けるには、まだ早すぎる教義が記されていたのかも知れません。だからモーセは敢えて叩き割り、再度、神のもとへ赴いたのではないでしょうか。なぜ、あなたたちには分からないのだ…という、悔しさのにじみ出たモーセの表情かも知れません。端然と座った黄金の子牛だけが、人間たちの成すさまを冷ややかに見つめているようです。

 16世紀シエナ派の画家ベッカフーミは、独特の様式を身につけた画家です。生涯のほとんどをシエナで過ごした彼は、北方の絵画、ルネサンスの造形を学び、それをシエナの強烈なゴシック趣味と結びつけるかたちで画境を開いていきました。ミケランジェロ、ラファエロらの新しい芸術運動のなかにあって、シエナ派の伝統である明るく輝くような色彩、そして濃厚な明暗の表現、複雑に入り組んだ構図で、他の画家とは一線を画したベッカフーミならではの世界を展開させたのです。
 20世紀になって再評価を得るようになった彼には、マニエリスムへの先駆性が強く指摘されていますが、確かに闇の中から不思議な光を浴びて浮かび上がる群像からは、声にならぬ声が湧き上がってくるようです。

★★★★★★★
イタリア、 ピサ大聖堂 蔵



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