燃えさかる炎が世界を焼き尽くそうとしています。廃墟と化した建物、争う人々や兵隊、信じられないような姿の怪物たち……。ここは、もしかすると地獄なのかもしれません。
しかし、大ブリューゲルの描く地獄のヴィジョンは、やはり何やらユーモラスです。恐ろしいけれど、可笑しい……怪物たちまでが、不思議に笑いを誘います。その中でも何より目を引くのは、前景を大きく横切って、大股で歩く女性の姿です。彼女は他のものたちより、一段と大きく描かれています。
どこか狂気の雰囲気を漂わせる女性は、「悪女フリート」または「狂女メグ」と言われています。当時人気のあった喜劇で、お馴染みのキャラクターでした。意地の悪い女性を象徴する存在だったのです。
また、「地獄の門の前の泥棒」の暗示とも言われ、フランドルの諺から、大胆不敵で強欲な人物を意味するために使われた表現です。確かに、ここに描かれたフリートは手に剣を握り、略奪したたくさんの戦利品を抱えて、固い決意を秘めた表情でまっすぐ前方を見据え、ずんずん進んでいます。彼女の迷いのない態度は、画家の意図とは別に、何やら爽快ですらあるのです。
ところで、この作品が地獄を舞台としたものと確信させるのに、「地獄の口」らしき洞窟があります。鯨の口にも似たこのヴィジョンは、中世末期にはお馴染みのモティーフでした。ここでは、人間の顔のように見えますが、彼は地獄に堕ちた死者たちを貪り食うというより、怪物たちを口の中で遊ばせているように見えます。しかも、よく見ると、鼻毛が伸びてカールしていて、やはり何ともユーモラスです。
さらに、数人の男を乗せた小船を運ぶ、不思議な怪物も描かれています。一瞬、身体の形がどうなっているのか悩みますが、卵の形をしたお尻を持っています。その卵を割ってコインをすくい取り、下の群衆に投げ与えているらしく、それを受け止めようとする人々は必死です。浪費と贅沢な生活への皮肉のこもった表現ですが、フリートの「欲望」と、この怪物の「浪費」は当時の最も罪深い行いの一つでした。
作品は、フランドル絵画の伝統を引き継ぐ教訓的な意図で描かれているようです。しかし、全体を覆う奇妙な雰囲気は、やはりブリューゲルならではのものです。画面の中の人々や怪物は、それぞれに他のものには興味を示さず、自らのことに大忙しです。この混沌は醜い世界とも見てとれますが、ある意味、活気に満ち、生き生きとした表現にも感じられるのです。特に、画面右側手前で魔物と闘う女性たちの逞しさ、強さには、神の審判などより経済が大きな力を持ち始めていたネーデルラントにおいて、確実に現実的な力を増してきた当時の女性たちの地位の高まりを実感させられます。
ピーテル・ブリューゲル(1525-1569年)の活躍は、巨匠ボッスが亡くなって40年も経っていました。それでも、商売上の事情から、ボッスの名で出版された版画もあったのです。そのあたりから、初期のころ、「新しいボッス」とも呼ばれたブリューゲルでしたが、不気味さの中のアッケラカンとした可笑しさは、確かにボッスの世界観を受け継いだもののようにも思えます。しかし、人々への温かく、どこか親しみのこもった視線は、やはり卓越した人間観察の画家ブリューゲルならではのものであったという気がします。
★★★★★★★
アントウェルペン、 マイヤー・ファン・デン・ベルフ美術館 蔵