ポントルモの弟子であったブロンツィーノの描くウェヌス(ヴィーナス)とアモル(キューピッド)には、なんとも優雅な罪の香りが漂います。アモルとは「愛」の意味で、一般的にはウェヌスと軍神マルスの間に生まれた子とされていますから、ここに描かれているのはウェヌスとアモルの近親相姦というスキャンダラスな情景であり、恋愛の欺瞞というテーマが隠されているのです。
そのほかにも、この作品にはタイトルどおりの豊かな寓意が秘められています。左端で頭を抱えてうめき声を上げる男は嫉妬の象徴、右端で少々可愛さを通り越した笑顔を見せる子供は快楽の象徴、そしてその後ろに顔を覗かせる少し不気味な少女は、まさしく欺瞞の擬人化された姿なのです。また、右上の老人は「時」の擬人像であり、鋭い目で、時とともにそこにさらけ出される様々な愛の形を見つめています。愛の複雑さ、救いようのない深淵が意味深く描き込まれ、退廃的なエロティシズムに満ちているのです。
ブロンツィーノが活躍した時期のフィレンツェは、すでにトスカーナ大公の支配する君主国となっていて、芸術においても、師のポントルモに見られたような奇想は影をひそめ、宮廷人、知識人たちのための優雅さや、また、文学的な意味解釈をこめた作品が多く求められるようになっていました。ですから、この作品もまさにその良い一例と言えると思います。
そこには、一時停滞したローマの芸術活動が、1530年代にはいってからのイタリアの政治的状況の安定とともに、新しく動き出した様子が感じ取れます。そしてそれは盛期マニエリスムと呼ばれ、この作品に見られるような宮廷の貴族趣味に合う華やかさと、そして洗練された絵画様式の確立となって花を咲かせるのです。
しかし、アモルの不自然に引き伸ばされた上半身、どこか両性具有を想わせる雰囲気、また、ウェヌスの、腰をおろしているわりには浮き上がったように不安定な姿勢など、やはりマニエリスム的特徴は十分に感じ取ることができます。初期マニエリスムの成果を受け継ぎながらも、感情を殺した仮面のような装飾性を極めていったブロンツィーノの、硬質でありながらみごとに滑らかな美しさには、やはりただ、ため息をつくばかりなのです。
★★★★★★★
ロンドン、 ナショナルギャラリー 蔵