物乞いの少年に施しをする婦人の白い被り物が、不安なほどに鮮明な光を受け、うつむきがちな彼女の表情はその明るさのために却って読み取りにくくなっています。一方、物乞いの少年の後ろに立ち、空虚な目をはっきりとこちらに向ける盲目の少年は、おそらく17世紀全般を通じて、見る者に最も強烈な印象を残す存在の一人ではないでしょうか。当時の一つの容赦ない現実が、密度の濃い魅力的な画面の中に凝縮されているようです。
ところで、この作品のタイトルになっている「慈愛」には、「施すべきもの」という響きが含まれているようで、神の愛であると同時に隣人愛といった意味合いもあるようです。ゴシック美術においては「慈悲の六つの行い」をなす女性像を見ることができます。『マタイ福音書』によれば、それは空腹の者、渇いている者、旅人、裸である者、病気の者、獄に繋がれている者を世話する女性とされています。ただ、この作品の場合は現実の情景がそのまま描写されているように見受けられますから、こうした象徴的なタイトルはやや不向きだという指摘もあります。しかし画家は、神の愛の概念を、より親しみやすい姿で描きたかったのかも知れません。
バルトロメオ・スケドーニ(1578-1615年)は、北イタリアのエミーリア派を代表する画家の一人でした。もっぱらパルマで活動し、マニエリスムの時代に画家としての修業をしましたが、ファルネーゼ家の宮廷で活躍するようになるとコレッジオの甘やかな叙情性、カラッチ一族の精緻な技法、ローマの最新の傾向など、本当に様々な刺激を受け、吸収していきました。そこに、スケドーニならではの魅力的で特異な画風が生まれたのでしょう。彼の作品群は峻厳で高貴でありながら、人々のまとう衣装の布地は触れてみたくなるほどに柔らかく、この上ない優美さがそれを包みます。この作品でも、右端の幼児に見られるような感傷的で甘く優しい雰囲気は、コレッジオの遺産を引き継いだものとして、スケドーニの多彩な魅力を感じることができるのです。
しかし、彼の作品に宿る魔力は、何と言ってもその個性的な光の表現にあるでしょう。鮮明で強烈で、まばゆいほどの白さを持ちながらも怖いほどに繊細で、形而上的と表現して良いような効果を生み出しています。光は衣服の色を際立たせる一方、顔のあちこちを長い影で隠し、見る者の想像力をふくらませ、ある時はたじろがせさえするのです。
活動地も時期も異なりますが、スケドーニの作品はふとカラヴァッジオを思わせます。そう感じるのはもしかすると、彼の生涯がカラヴァッジオととてもよく似ていることに原因があるのかも知れません。やや暴力的で喧嘩早い性格のためか、スケドーニは官憲と絶えず衝突していたと言われ、あやうく大切な右手の自由を失いそうになったことさえあると言います。そして38歳のとき、おそらくは賭博の借金を抱えたことが原因で、自殺をしています。
スケドーニの描く人々は、画家ならではの光の中で凍り付いたように動かず、その独創的な画面は、活力に満ちたバロック絵画の方向性を確かに指し示したものと言えるのでしょう。
★★★★★★★
ナポリ、 カポディモンテ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎新約聖書
新共同訳 日本聖書協会
◎西洋美術の歴史
H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著 創元社 (2001-05-20出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)