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「手紙を書く男」

ガブリエル・メツー (1662-65年)

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  <この作品と対になっている「手紙を読む女」>

 手紙を書く人という主題は、17世紀オランダで好まれたテーマです。フェルメール、ミーリス等をはじめとして、その作例には枚挙にいとまがありません。しかし、ほとんどの場合、主人公は女性たちでした。それは、女性のほうが絵として美しいという理由もあったでしょうが、彼女たちが積極的にペンを執って手紙を書く姿には物語性がひそみ、見る者の心をくすぐるものだったからに違いありません。
 ところが、ここに描かれているのは、男性が手紙をしたためる図です。いかにも育ちの良さそうな白皙の貴公子然としていますから、彼が主人公でも全く問題はありませんが、もしかすると、ここでは彼の内面世界よりも、その裕福な暮らしぶりを見せることに、より力点が置かれているのかもしれません。
 開かれた窓からは明るい陽の光がふんだんに射し込み、頬に当たる風さえ感じさせます。緞帳のように重そうな、高価なテーブルクロス、窓のガラスの向こう側の地球儀、バロック風の豪華な額縁に入った風景画、東洋風のテーブル・ラグなど、男性の何不自由ない身の上が描き出されています。

 ところで、この作品には、おそらく大きさから考えても一対であったと思われる作品があり、こちらでは、可愛らしい女性が手紙を読んでいるのです。おそらく、一方の男性が書き送った手紙を読んでいるところなのでしょう。恋文を受け取ったらしい彼女は物思わしげで、その表情には喜びよりも戸惑いのほうが色濃いようにも感じられます。
 こちらは、男性の部屋とはだいぶ趣きが異なり、質素で慎ましい室内となっています。彼女の内面性こそが強調されているのでしょうか。足元の犬は結婚生活における忠実さを示す象徴とされていますから、女性には夫がいるのかもしれず、そうなると、彼女の困惑と微かなトキメキの意味もわかるような気がします。さらに、傍らの召使いがカーテンを開けると、そこに保護されていた絵画が現れます。荒海を航海する船が描かれていることから、この恋の行く末の困難さが暗示されているようにも見えます。そして、もしかすると、彼女の夫は船旅をして海外で商売することの多い人物なのかもしれません。
 女性の、つるんとゆで玉子を剥いたような可愛らしい額に当たる日の光も慎ましやかで、顔の半面と鏡の後ろにできた影から、そろそろ午後も遅い時間になろうとしているのが感じられます。そして、床に忘れられた片方のミュールや針仕事の折の指貫が、彼女の心理の微妙な揺らぎを象徴しているようです。

 この美しい作品を描いたガブリエル・メツー(1629-67年)は、17世紀オランダで人気の風俗画家でした。1655年ごろにレイデンからアムステルダムに移住したとみられ、中流階級の家庭に取材した多くの印象的な風俗画を描きました。もちろんそこには、風俗画にありがちな、娼家の雰囲気を意図したと思われるものや、こうした男女の微妙なやりとりを暗示する作品も多く見受けられます。
 それでも、メツーの作品が清らかに美しいのは、その均整の取れた構図、輝くような自然光の描写、そして色の配列そのもののセンスの良さに負うところが大きいと思われます。さらに、人物の美しさ、画面に秘められたたくさんの象徴も、メツー作品の魅力です。それらのものが、嫌らしく映らないのは、画家の持つ品の良さゆえなのかもしれません。
 また、メツーがデルフト派の二人の巨匠、ヨハネス・フェルメールとピーテル・デ・ホーホに強く影響を受けていることも挙げておかなくてはなりません。この「手紙を書く男」、「手紙を読む女」にも、デルフト派の獲得した光の扱い、窓辺の描写など、独特の魅力が凝縮されているのです。殊に目を引くのは、女性が着ている毛皮のついた黄色い上着かもしれません。この上着は、フェルメールの作品にしばしば登場するお馴染みのデザインと同じものなのです。

 手紙というテーマは、1630年ごろからオランダの風俗画の主要なテーマとなりました。これは、当時のオランダの人々の識字率が高かったこと、そして、郵便制度の発達が大きな要因として挙げられるようです。
 それまでは公的文書であった手紙が、17世紀に入って庶民のものとなった証しでしょう。人々はプライベートな情報を交換する大切なツールとして、手紙を活用しました。殊に人々が関心を寄せたのがラブレターだったようです。そして、絵画のテーマとしても、恋文は魅力的な主題となったのです。

★★★★★★★
ダブリン、アイルランド・ナショナルギャラリー 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋名画の読み方〈1〉
       パトリック・デ・リンク著、神原正明監修、内藤憲吾訳  (大阪)創元社 (2007-06-10出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 (1989-06出版)
  ◎昔日の巨匠たち―ベルギーとオランダの絵画
       ウジェーヌ・フロマンタン著、鈴木祥史訳 法政大学出版局 (1993/10/15 出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎もっと知りたいフェルメ-ル ― 生涯と作品
         小林頼子著  東京美術 (2007/09出版)  



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