背後の暗みから静かに浮かび上がる、心を洗われるような聖母子像です。
赤ちゃんにとって、何より大切な生命の糧は、お母さんの優しい眼差しと温かいお乳です。当時のスペインの農婦の姿をとった聖母マリアの服のデザインはきわめて機能的で、洒落ていて、ちょっと嬉しくなってしまいます。これならば、授乳もしやすかったことでしょう。忙しい農作業の合い間、お乳をほしがる我が子にさっと飲ませてあげるには、こうした工夫も大切だったことと思います。幼児イエスは全身おねだり状態で、それに応える母マリアも、よしよし…といった感じで愛情いっぱいの場面でありながら、少しも感傷に流されることなく、画面全体から威厳さえ感じさせるのは、やはりさすがと言うべきかも知れません。
どんなに時代が移っても、またそのときどきで表現が変わっても、その奥にあるのは、無垢で無抵抗な貧しい赤ん坊だったイエスであり、その聖なる赤ちゃんを産んだのはただ一人の女性….聖母マリアであったということを、再認識させてくれる画面です。お顔の清らかな美しさに引き比べ、意外にも大きくて逞しい彼女の手に目がいったとき、信仰篤く清らかなだけではない、貧しくても一生懸命に働き、自らの手でしっかりと我が子を守ろうとする強い聖母を感じることができます。そして、その逞しさが、当時の庶民の心にごく自然な共感を呼んだであろうことは、十分に予想がつくのです。
「聖なるモラーレス」…人々は画家をそう呼びました。彼は、16世紀スペイン南東部のエストレマドゥーラ地方の宗教画家であり、マニエリスムの影響を受けながらも独自の表現を達成していった人でした。どこか非現実的な色彩と漆黒を背にした劇的な明暗法が特徴で、その出自の記録が皆無であることも、少し謎めいた画家です。しかし、身近な母子をよくよく観察して、聖なるものとして表現する彼の眼と筆はみごとで、私たちはそれ以上の面倒なことなど特に知りたいとは思わなくなってしまいます。そして、あるかなきかの薄いヴェールの端をしっかりと掴む愛らしいイエスの姿に、ふと自分自身を重ね合わせてしまう人も多いかも知れません。
おそらく人は、長い人生のなかで、この乳呑み児のように、神の愛…といったものを意識する、しないにかかわらず、ひたすら求めるときがあるのではないでしょうか。そして、そんなとき、闇の中から必ず、この聖母の優しい眼差しに似た光が射すことを魂のどこかで知っているのかも知れません。
★★★★★★★
マドリード、 プラド美術館 蔵