髑髏を抱き沈思するのは、悔悟する女の守護聖女であり、プロヴァンスおよびマルセイユの守護者たるマグダラのマリアです。
しかし、聖女の姿は余りにも静かで、このまま背後の闇にのみ込まれてしまっても不思議ではないという気がします。質素で清潔な身なり、頭からかぶった青いマント、腕の下に置かれた書物も悔悟者としてのマグダラのマリアのかたちなのですが、そういうことよりも、鑑賞者の心にひたひたと流れ込む温かさと消え入るようなはかなさは、これが宗教画であることを忘れさせてしまいます。もしかすると、それが後期マニエリスム文化の中で修業を積んだ画家の持つ、独特な雰囲気なのかもしれません。
作者のドメニコ・フェッティ(1589-1623年)は17世紀初期の非常に重要なバロックの画家でした。にもかかわらず、今日、その名が余り知られていないのは、その生涯の短さに加え、謎の多い画家であることも大きな要因かもしれません。彼は故郷ローマにおいて、バロッチ、カラヴァッジオなどの画風を吸収し、特にルーベンスからは決定的な影響を受けたといわれています。勢いのある明快な筆さばきや、女性の肌の生き生きとした表現など、確かにルーベンスの豊潤な画面を思わせますし、人物の存在感は、あまりにもバロック的な雰囲気を醸し出していると言えそうです。
フェッティに特徴的なことは、枢機卿フェルディナンド・ゴンザーガの知遇を得て、1614年にマントヴァのゴンザーガ家の宮廷画家となり、その短い生涯の大半をここで過ごしたということだと思われます。彼の様式には様々な影響が認められながら、それらを包括して、どこか内省的で独自な雰囲気を漂わせるのは、宮廷という、ある意味閉鎖された世界の中で熟成された画風であったためかもしれません。マントヴァのパラッツォ・ドゥカーレの装飾に従事した際、同地の貴族と争いを起こし、22年にヴェネツィアに逃亡、翌年には彼の地で没したと記録されていますから、そんな境遇にもまた画家の激しさ、そして孤独を思ってしまうのです。
ところで、フェッティは自分の作品をもとに、いくつものヴァージョンを描いています。これが、ある意味での成功の証か、それとも自ら求めてのことだったのか、定かではありません。代表的なものとしてルーヴルやアッカデミア美術館の「メランコリア」などがありますが、髑髏を抱き沈思黙考する姿は、この「改悛のマグダラのマリア」に通ずるところがあるような気もします。もしかするとこの作品は、宗教画に形を借りた寓意画だったのかもしれません。
今にも消え入りそうなマリア・マグダレーナは、静かにやさしく、まるで画家のため息のように、今も画面の中に息づいているのです。
★★★★★★★
ヴェネツィア、 ドーリア・パンフィーリ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001/02出版)