猜疑心の強そうな視線、狡猾そうな口元、贅肉のついた赤ら顔……。これが宗教界最大の権力者、ヴァティカンのローマ教皇の真の姿かと、一瞬、言葉を失います。べラスケスの、肖像画家としての真骨頂は、実はこうした鋭利な人間観察眼にあったのでしょう。
ベラスケス(1599-1660年)は1623年、国王フェリペ4世付き画家に任じられ、生地セビーリャからマドリードに居を移しました。そして、王侯の姿を、それにふさわしい威厳をもって描くという宮廷画家の役割を的確に理解し、王の期待を裏切ることはありませんでした。セビーリャ時代のベラスケスは武骨なほどの写実と厳しい明暗法を特徴としていましたが、マドリードに来て王室コレクションのヴェネツィア派やフランドル派絵画に接してからは、その画面は次第に明るさを増し、視覚的効果を重視した独特の写実主義を発展させていったのです。その中から「ブレダの開城」など、王宮を飾る壮麗な作品が生み出されていきました。
また、外交使節としてやって来たフランドルの大画家ルーベンスとの親交、そして2度にわたるイタリア旅行も、彼の芸術に大きな影響を与えたようです。この作品は、2度目のイタリア旅行でローマに滞在していた折の肖像画です。
歴代の教皇たちは、当代一流の画家たちに自らの姿を描かせたのです。それがステータスのあかしでもありました。教皇庁でのし上がるには、かなり権謀術数に長けていなければかないません。しかし、それをここまであからさまに、迫真力をもって伝える肖像画は他に類を見ないかもしれません。
ところが、意外にも、教皇イノケンティウス10世は、この卓越した真実の肖像画をひどく気に入ったようです。画家に、大いなる賞賛を与えたと伝えられているのです。真紅と白の色調のみごとさ、流れるような絶妙の筆致に、肖像画としてのこの上ない質の高さを認めたに違いありません。さらに言うなら、イノケンティウス10世は、この程度のことは平気で受け容れる、そうとうに腹の据わった人物だったのかもしれません。
ところで、教皇が左手に持つ紙には、ベラスケスの署名と年記が記されています。そんなことを易々と許したあたりに、イノケンティウス10世と王の画家ベラスケスの、プライドと矜持のぶつかり合いさえ感じることができるのです。
★★★★★★★
ローマ、 ドーリア・パンフィーリ美術館蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋絵画の主題物語〈2〉神話編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)