瞳の光も生き生きと、今にも話しかけてきそうな教皇に、思わずこちらも引き込まれてしまいそうです。教皇の持つ威厳と知性、さらにその奧に隠されたメランコリックな感情までも、画家の卓越した技術はみごとに引き出してしまったようです。肖像画とはまさにこうあるべきだと、目の前に突きつけられたという感さえあるのです。
作者のカルロ・マラッタ(1625-1713年)は、この肖像画を描くにあたって、ルネサンスの巨匠ラファエロの作品から霊感を得たと言われています。確かに彼の、筆致を感じさせない完成された美しさはイタリア全土で称賛され、「ラファエロの再来」とまで評されていました。17世紀ローマの古典主義を代表する重要な画家の筆頭であったと言っていいでしょう。画家は、盛期ルネサンスのラファエロやコレッジョの甘やかな美しさを好み、そこへ盛期バロックの持つ洞察力に富む生き生きとした表現を加味することに成功しているのです。
マラッタの活動は、ほとんどがローマでのものでした。プッサンを初めとする古典主義の土壌で画家として成長しましたから、基礎の部分でそれを脱することはなかったのかもしれません。したがって、多彩な画風を駆使する能力を持ちながら、自ら革新的なものを創造するには至らなかったとの評価もまた真実だったようです。しかし、コルトーナの没後はローマ絵画界の中心人物となり、聖ルカ・アカデミーの終身院長にまで上り詰め、ルイ14世からは「王の画家」の称号さえも受けています。マラッタの画風は、当時、絵画の規範として揺るぎない地位を保っていたのです。
そんなマラッタの肖像画は、当時のパトロンたちの寵愛に120%応えるものでした。ここに描かれた教皇クレメンス9世もまた、喜びをもって画家の前でポーズをとった一人だったことでしょう。彼は、ピサ大学の哲学教授、枢機卿、教皇庁国務長官を経て、1667年にローマ教皇となったエリートでした。ところが、ここでちょっと面白いのが、その出身が貴族であり、そのうえオペラの台本作家でもあったという事実です。当時は、教皇になるような人物にもそんな興味深い経歴があり得たのかもしれませんが、そう思って改めて彼の顔を見直すと、謹厳実直そうな表情の中に、なんとも人間的な輝きが見てとれるような気がしてきます。
この肖像画が描かれたと同じ年に、71歳で脳卒中により他界していますが、この人物に対する興味がいやおうなしに湧き上がってくるような、血の通った人間であることを実感させる、印象的な一作となっているのです。
★★★★★★★
ローマ、 ヴァティカン宮美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001/02出版)