テーブルの上を明るく照らす陽の光が、そのまま、向こう側に座る赤ちゃんの顔に反映し、それを見守る若い母親の頬もみずみずしく輝いています。平和な昼食どき、カーテンを通して窓から入る光のやさしさに、人々はくつろいでいるようです。外出から帰宅したばかりなのか、帽子と手袋をつけたままの婦人と召使いのいる後景と、母子のいる光あふれる前景が、鮮やかなコントラストで描き出されています。
ここはフェカンの浜辺にある、実業家ゴーディベールの家の一室です。ゴーディベールはモネのパトロンの一人で、初期のモネの絵を好んで購入したブルジョア階級の人物でした。モネは、その夫人の肖像画を依頼されて制作していますが、それは顔を描いたものではなく、その立ち姿、雰囲気をまず捉えたような、独特で強い印象を残すものとなっています。その肖像画を夫人が気に入ったかどうか興味深いところですが、窓を背にして立っている女性が、その夫人本人かもしれません。
一方、テーブルで食事をしているのは、モネの妻カミーユと長男のジャンだと言われています。そして、二人の前のテーブルに置かれた物たちは、どれも後年のモネからは考えられないほど写実的に描かれています。光を受けた白いテーブルクロスの質感、そのひだ、カップやボトルの後ろに伸びた影の描写など、緻密な画家の目と力量を感じさせるのです。
20代後半のモネは、光の存在に敏感に反応しつつも、個々の形体をしっかりととらえ、それを描写することに精力を傾けていたようです。ジャンの横がスッパリと切られ、テーブルの端が見えていないのは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて西欧芸術に広がったジャポニスム(日本趣味)の影響かもしれません。浮世絵的な斬新な表現と言えるような気がします。
モネといえば、非常に自在なタッチ、美しく揺らめくような色彩がまず思い浮かぶのですが、実は初期のころ、バルビゾン派に親近感を持っていた関係で、かなり写実的な描写をしていました。少年のころのモネの絵を見れば、誰でも彼の才能に驚くに違いありません。的確で手堅い表現は、十代ですでに自らのものとしていました。そうした点は、天才ピカソなどにも通じるものがあるように思えます。
ところで、当時は、アカデミーのサロンが唯一の展覧会でした。サロンというのは国が開催する年1回の公的展覧会のことで、これに出品しなければ絵を公に展示することができませんでした。サロンに入選できなければ、名前も知られず、絵を売ることもできなかったのです。ただし、サロン入選のためには、理想主義的な写実絵画であることが必須でした。幸い、モネは25歳のときに入選しています。ところが、70年のサロンのために用意したこの作品は、受理されなかったのです。日常の場面を描いた作品は低級なものとされていたためでしょう。それで、しかたなく第1回印象派展のほうに出品したのです。人々の生活からかけ離れた”崇高な”絵画に、モネはすっかり嫌気がさしていたのかもしれません。
しかし、なんとしてもサロンに……と拘らなかったことが、画家モネにとってはよいことだったに違いありません。すでにこの時期、この写実的な画面にさえ、光に対する繊細な描写が見られます。光の効果を色彩によって追求していこうとする姿勢は、モネの中に確実に芽生えていたのです。
★★★★★★★
フランクフルト、 シュテーデル美術館蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎印象派美術館
島田紀夫著 小学館 (2004-12出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)