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「書斎の聖ヒエロニムス」

アルブレヒト・デューラー   (1514年)

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 完璧な遠近法で構成された画面には、窓から入る光や影が変幻自在に美しく描き込まれています。質素で清潔な聖人のいる室内は、ビュラン(彫刻刀)の巧みな描写によって、繊細で威厳に満ちた空間となっているのです。

 聖ヒエロニムスは、現在のクロアチア、モンテネグロに含まれるダルマチア地方のストリドンに生まれたラテン(西方教会)教父の一人として知られています。
 386年、ヒエロニムスはベツレヘムに居を定め、当地にいくつかの女子修道院を建設しています。そこで彼は、長年にわたり旧約・新約聖書のラテン語訳の作業を行いました。ウルガータ訳として知られる彼の翻訳は11世紀ののちにトレント公会議で公認ラテン語テキストに制定されています。そんな翻訳中のヒエロニムスは、あまりにも多くの画家によって描かれてきました。
 しかし、このデューラーの手になる銅版画は、モノクロでありながら、あまりの美しさと緻密さに圧倒されます。部屋の柱や床面を見ると、たくさんの影や光のつくる模様が描かれていますが、その表現は多彩です。一口に影と言っても、ドイツ・ルネサンスを代表する画家デューラーの手にかかると、これだけの異なる描写になるのかと驚かされるばかりです。
 また、前景に犬と一緒にくつろいでいる大きな動物は、ちょっと不思議な姿ですが、明らかにライオンです。ヒエロニムスは、砂漠で棘に苦しむライオンを救ったとされており、以後、彼の忠実な友となったと言われています。そのため、枢機卿の帽子とともに、ヒエロニムスの重要な持物とされているのです。
 ところで、聖ヒエロニムスといえば、枢機卿姿がお馴染みです。しかし、聖ヒエロニムスの在世中には、実は枢機卿は存在しませんでした。ですから、本来なら、彼が枢機卿であるわけはなかったのですが、聖人がローマにいたころ、教皇ダマスス1世のもとで要職についており、このことから、枢機卿の姿で描かれることが多かったのだろうと言われています。

 この作品は、「騎士と死と悪魔」「メレンコリアⅠ」」と並び、デューラーの三大銅版画の一つとされています。
 アルブレヒト・デューラー(1471-1528年)は、2回のヴェネツィアへの旅行で、イタリア・ルネサンスに触れ、帰国してから工房を構えました。そして、版画を大量に制作することによって、工房の経営を軌道に乗せようとしました。流通させやすい版画を一つのジャンルとして確立させたのは、デューラーの大きな功績の一つです。
 彼の数多くの木版画、銅版画は、その完成度において他とは一線を画す傑作ぞろいでもありました。しかし、デューラーにとってやはり、版画は何より効率のよい収入をもたらす手段であり、「大作を描くよりも版画だ」と、はっきり日記にも記しています。実際、彼の母や妻は、版画の販売にそうとう貢献していたといいます。
 デューラーが活躍した時期をドイツでは、ドイツ・ルネサンスとは言わずに、しばしば「デューラー時代」と称するようです。ドイツ美術には、明確なルネサンスという意識があったとは言い切れないとされているからなのです。デューラーは、中世とルネサンス、イタリアとドイツ、芸術家と職人という二極のはざまで絶えず揺れ動き、悩み続けた画家だったのかもしれません。

★★★★★★★
ベルリン、 国立版画館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎ルネサンス美術館
       石鍋真澄著  小学館(2008/07 出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
        佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
  ◎西洋美術館
        小学館 (1999-12-10出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)



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