これが本当にあの「最後の晩餐」…? ちょっと信じにくいほどの劇的な画面です。この絵は、ほぼ1世紀前にダ・ヴィンチが描いた同じテーマの作品の持つ、盛期ルネサンス絵画の理想と古典的価値をあらゆる点で否定してしまうのです。
いちおう構図の中心にキリストは描かれていますが、極端な遠近法で画面に対して鋭角的に置かれた食卓を囲む人々は、ざわつき、立ち上がり、ひそひそと話し合い、また、頭をかかえ、様子を探りあい、とにもかくにも動きを止めることがありません。天井には不安をかたちにしたような天使が群れをなして舞い、かろうじて食卓の手前に座る男がユダであるらしいことが見てとれるくらいで、あとは一見したとき、これが静謐であるべき「最後の晩餐」を描いたものとは判断できないほどなのです。
過ぎ越しの祝いの食事に、キリストと使徒12人が顔を揃えています。食事のなかばころ、
「あなたがたの一人が私を売り渡すだろう」
とキリストが告げ、一同はどよめきます。ある者はそれは誰です、と詰め寄り、ある者は沈思黙考し、またある者は深い悲しみにくず折れる…そんな劇的な瞬間から発生したドラマの渦がまさにいま展開しているのかも知れません。中景に小さく見えるキリストの姿は、燦然と輝く光輪によって他の人々から区別することができますが、もしこの光輪がなかったら…..やはり、彼をキリストと判別することは困難なのではないでしょうか。
ティントレットは「最後の晩餐」という重いテーマを、ごく日常的な場面で起こった出来事として表現するように努めたのでしょう。本来なら居るはずのない召使いや従者、動物、たくさんの食べ物や飲み物やその容器を画面の中に配しています。しかし、よく見ると、ここには現実のものと非日常のものが同居しているのは明らかで、輝く灯火から立ち上る煙が徐々に天使に変化していくさまなど、マニエリスムの画家ティントレットの反古典が、私たちに向かって執拗に迫ってくるようです。そして、その天使たちは、自らの肉体と血の象徴であるパンと葡萄酒を使徒たちに差し出すキリストの上に、うねるように集まり始めています。ダ・ヴィンチにとって重要なキーポイントだったユダの裏切りというテーマも、ティントレットにとってはさして重要な人間劇ではなかったようで、ぽつんと一人だけ描かれたユダは従者の一人としか見えないほどに存在感がありません。ティントレットの関心….それは、聖餐式の中での俗から神への移ろいを視覚化すること…この一点だったに違いないのです。
ヴェネツィアで16世紀中頃に現れたマニエリスムは、ティントレットという優れた画家によって支えられました。彼は、驚くべきエネルギーと創作力にあふれた画家であり、マニエリスムにひそむ「反古典」と「優雅さ」という二つの特徴を作品の中にみごとに結合させた画家でもありました。「ティツィアーノのように彩色し、ミケランジェロのように素描する」ことを望んだ彼は、ヴェネツィア派の卓越した彩色法をもって、むしろこの派に欠けていたしっかりとしたデッサン力を駆使して強い表現を心がけ、「激しき者」という呼び名まで与えられていました。「激しき者」ティントレットの描いた『最後の晩餐』は、明暗法の劇的効果の極致と讃えられつづけています。
★★★★★★★
ヴェネツィア、 サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂 蔵