さわやかな夏の日射しの中、少女に与えられた光は選び抜かれたごとく控え目でやさしく、そこには作者のこの作品への思い、愛情が慎ましく込められているかのようです。
1868年5月から11月にかけて、フレデリック・バジール(1841-70年)は故郷のモンペリエとその近郊メリクに長期滞在し、制作に取り組みました。この作品はその時の一作であり、眼下に広がるカステルノーの村、そして高台でやや緊張気味にこちらを見つめる少女を心地よい風と光の中に描いています。
バジールの実家は裕福なぶどう栽培業者で、モンペリエの名門として知られていました。彼は夏になると決まって帰郷し、メリクにある母の実家を別荘として、家族とともに一夏を過ごすことを習わしとしていたのです。その折のゆったりとくつろいだ画家の気分が、木立を描くのびやかな筆致や深呼吸したくなるような瑞々しい色彩の中に見てとることができます。
今でも、
「もしバジールが生きていたら……」
と言われることがあります。彼は28歳という余りにも早い時期に人生を終えたため、名をあげることもなく、これといった代表作や大作を残す時間もありませんでした。しかし、彼ほど才能を秘め、人間的魅力にあふれ、そして一途な人物はめったにいないかもしれません。もしバジールが生きていたら、印象派の代表的な画家の一人としてどれほどの活躍をし、私たちにどれほどたくさんの美しい作品を見せてくれたことかと、やはり個人的にもそのように思ってしまう一人なのです。
ブルジョワの家庭に育ったバジールは、両親から医学の道を勧められましたが、死体の解剖に辟易した彼は絵画の道を選びました。シャルル・グレールの画塾でモネ、ルノワール、シスレーらと出会い、戸外制作に励むようになったことが彼の転機となったわけですが、殊に同年代のモネとルノワールとは気が合ったらしく、彼らとともに共同生活をし、絵のモデルとなったこともたびたびありました。しかし、共同生活といっても実情は、バジールが二人の窮乏を助け、世話をしていたと言っても過言ではありませんでした。モネの「庭の女たち」を購入したのもバジールだったのです。
しかし、彼は両親にあてた手紙の中でも、しばしばモネとルノワールの素晴らしさを絶賛しています。バジールにとって、印象派の仲間たちはこの上ない誇りであり、彼らと行動をともにすることが最高の喜びだったに違いありません。印象派の仲間たちが決して友情だけで結ばれていたというわけではなかったでしょうが、それでも若い彼らのきずなはとても強く、確かなものだったことが感じられます。
絵画だけでなく、新しい音楽や詩も愛する幅広い教養を持ったバジールはまた、熱狂的な愛国者でもありました。1870年8月、彼は父親の反対を押し切って普仏戦争に従軍し、11月28日、フランス中部オルレアン近郊で戦死しました。階級は軍曹だったといいます。そのころ、すでに印象派の仲間たちとはまた、異なる個性に目覚めた作品も発表し始めていたバジールだけに、その早過ぎる死を惜しむ声はやはりいまだに消えることはないのです。
この作品のチャーミングなモデルは、バジール家の庭師の娘だということです。描かれているのはメリクの所有地のはずれ、画家のお気に入りの場所だったのかもしれません。自分を最も理解し、応援してくれていた家族たちと過ごした夏、その大切なバジールの思い出が、この作品にはみずみずしく密やかに生き続けているのです。
★★★★★★★
モンペリエ(フランス)、 ファーブル美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎路―印象派への旅
平松礼二著 里文出版 (1999-09-10出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)