心地よい木洩れ日の中、素早く荒いタッチで描き出された画家の制作風景です。
1870年代、印象派の画家たちにとって、戸外での制作は息をするのと同じくらい自然なことでした。時間を追うごとに変化する自然の状況をその場で体感し観察することは、アトリエでの制作とは比べものにならないほど豊かな表現をもたらしてくれるものだったのです。
ここに描かれているのは、印象派を代表する画家クロード・モネとその妻です。降り注ぐ光の中、制作に没頭するモネの手元には、鮮やかな色の乗ったパレットが置かれています。
急速な画材の発達に伴って、19世紀、画家たちの制作は本当に自由になりました。絵の具を保持するチューブが開発されたことで戸外での制作が可能となり、印象派の画家たちの実感を伴った写実主義が実現されたわけです。
チューブ絵の具が開発される以前、絵の具の扱いは煩雑でした。すりつぶした顔料を豚の膀胱でつくった袋に詰め、油や乾燥促進剤などと別に持ち歩き、必要に応じて顔料をさらにすりつぶしながら油などと混ぜ合わせて使うのが普通でした。顔料が長く保存できないうえ、荷物が多くなってしまうこの方法は、画家の足かせとなっていたのです。
ところで、このいかにも印象派ふうの作品を描いたのは、実はアメリカの肖像画家ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925年)でした。しかし、アカデミックな教育を受け、数カ国語をあやつって上流階級の人々と交流し、写実的で魅力的な注文肖像画の数々を制作したサージェントがこんなに素朴な作品を描いていたなんて、少し意外な感じがします。そもそも、サージェントが印象派の画家たちと交流があったのかさえ疑問です。
実はサージェントは、アメリカ人医師の子としてイタリアのフィレンツェに生まれ、イタリアで絵を学びましたが、1874年、18歳のときにパリに出て、フランス・アカデミア派の画家カルロス・デュランに師事しています。ここで肖像画家として名声を得るようになるのですが、同じころ、印象派の画家たちとも交流を持つようになっていました。
中でもモネとの親交は深く、彼の肖像画を何枚も描いています。モネ自身はサージェントが印象派と呼ばれることに否定的でしたが、こうした明らかに印象派ふうの作品を残しているのを見ると、当時の印象派の戸外での制作が、いかに他の画家たちに大きな影響を与えたかを実感させられます。
この作品でも、荒いタッチでその場の雰囲気や光、風の動きをとらえたサージェントの、洗練された確かな筆致が際立ちます。それは、小説家で批評家としても知られたミルボーが、「戸外こそ、モネにとって唯一のアトリエなのだ」と書いたとおりの、美しく冒しがたい一瞬にほかならないのです。
★★★★★★★
ロンドン、 テートギャラリー 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎印象派美術館
島田紀夫著 小学館 (2004-12 出版)