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「死せるキリストの哀悼」

フラ・アンジェリコ  (1436年)

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 輝くピエタ…..。いつも心の中で、そう呼んでしまう作品です。
 なんて美しい、まばゆいばかりの悲哀の場面でしょうか。ピエタを描いた作品は、どうしても暗く、重く、ときには悲惨にさえなりがちなのですが、15世紀前半のフィレンツェを代表する画僧フラ・アンジェリコは、キリスト哀悼の場面をこんなに優雅に描いてみせてくれました。この画面ならば、「ピエタ」という美しい言葉の響きもすっと心に吸い込まれてしまうような気がします。
 ピエタとは「哀悼」の意味を持ち、十字架降下の直後の場面を示すために用いられる言葉です。横たえられたキリストの遺体、悲しみにくれる人々….。キリスト伝のなかでも最も印象的な場面の一つで、死んだ我が子を抱く聖母の姿には、誰しも心揺さぶられるのではないでしょうか。

 ところで、つい混同してしまうのですが、イタリア語で「慈悲」を表す「ピエタ」と、この作品に描かれた「哀悼」とは、意味あいが少し違います。慈悲の「ピエタ」には礼拝的な側面が強く、普通、キリストの遺体と共に描かれるのは悲しみにくれる聖母だけなのです。しかし、そのあたり、厳密に区別しながら考え始めると、かえって息苦しくなってしまうかも知れません。実際、今では、「ピエタ」も「哀悼」も、ほとんど区別しにくくなっています。
 そして、たいへん有名な場面であるにもかかわらず、この主題に関する福音書の記述というのはありません。意外な感じを受けますが、12世紀、東方ビザンティンの画家のための手引き書のなかに起源を見てとることができるのです。そして13世紀に西欧にもたらされました。物語の進行上、登場人物は聖母マリア、福音書記者ヨハネ、マグダラのマリアが中心となっています。

 ところが、この「キリストの哀悼」には、数えてみるとなんと15人もの人々が登場しています。金色に輝く情景といい、なんて賑やかな哀悼の場面でしょうか。じっと我が子の頭を抱く聖母の表情にも、悲しみの表現はあっても、見る者の心もふさいでしまうような救いようのない悲哀は薄いように思います。そして、すでに死せるキリストの顔も、少し笑顔さえ含んだ寝顔のように思えます。こんなところに、フラ・アンジェリコの、なんとも優しい、温かい人柄を感じてしまうのです。
 でも、私たちはここで、フラ・アンジェリコを単に高潔な人格を持ち、「天使のような画僧」と謳われた敬虔な画家….ということだけが彼のすべてだと思い込んでしまってはいけないのです。フラ・アンジェリコは、じつに高度に職業的な目と技術を持った芸術家だったのです。彼は、彼自身のなかの溢れるような信仰心、そこから生まれる個人的な霊感….のようなものを極力抑え、真に宗教に奉仕する姿勢を崩すことなく、伝統芸術の維持につとめることに徹し、ドミニコ会修道士の一員であり続けたのです。最先端のフィレンツェ芸術に接する機会も持ちながら、進歩的な動きに完全には同調せず、ときには14世紀末の構図やモティーフを用いたりして伝統の維持に固執しました。そこには、ドミニコ会の反人文主義的教義が大きく影響していると言われています。

 それでも、フラ・アンジェリコの見せる清純な色彩、簡潔な線描、明確な構図のなかに、私たちは旧さや頑なさをまったく感じることはありません。伝統をきちんと守りながら、フラ・アンジェリコは彼にしかなし得ない表現を、彼にしか構築し得ない世界をちゃんと作り上げていたのです。定められた枠のなかで自由な表現を試みる….天使のようなフラ・アンジェリコは、じつはなかなか機知に富んだ、明るく自由な画僧だったのかも知れません。

★★★★★★★
フィレンツェ、 サン・マルコ美術館 蔵



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