クレーはたぶん、最期まで遊び心を失わない画家だったと思います。彼の作品を包む明るく美しい色彩、針金彫刻を思わせる歌うように生きた線・・・
センスの良い、そして自然に心やさしくなってしまう作品群を見慣れて・・・、そしてこの「死と火」を見ると、その深遠さにふっと息が止まる思いがします。
この絵は、クレーの死の年の、ある種遺言めいた作品なのです。
クレーの死の原因となった病気は体が次第に衰弱する珍しい病気・・現在では硬皮症と呼ばれるものでした。当時、病気の進行を止めることは不可能で、その苦痛は大変なものだったようですが、全身を蝕まれながらも、クレーの創作意欲はあふれるばかりで、生涯枯渇することはなかったのです。そんな折の、死を十分に意識の内に入れた作品が、この「死と火」だと言えるでしょう。
おそらく、ブラック・ユーモアを含んだ作品に仕上げるつもりだったのでしょうが、それにしては悪意を含んだ横目でこちらを嘲笑しているような、死化粧をほどこしたような灰色の顔は、よく見るとドイツ語で死を意味する「Tod」の文字で構成されています。彼は死神なのかも知れません。
そして、まばらな黒く太い線には救いがたい神秘性がこめられ、その手には黄色の球体がささげ持たれています。この球体は死神によって、今まさに運び去られようとする死者の魂そのものを暗示しているのではないかと思われ、また、右後方を歩むのは櫂を持った黄泉の渡し守なのかも知れません。
この時期、クレーの日記の中に次のような言葉があります。
「何かが私の中で叫んだ。私は彼らに叫んで応え、しかも叫ぶことができなかった。・・・私はひたすら叫んだ。涙にぬれて胸の奥底から声を上げた」。
クレーの絶望が痛いほどに伝わってくる一節です。
しかしまた、息子フェリックスに次のようにも語っているのです。
「死は少しもいとわしいことではない。ぼくはずっと以前に死と折り合いをつけてしまった。今の人生と将来の人生とどちらが大切か人は知っているのだろうか。もしぼくがこのうえ二、三のよい仕事を創り上げたならば、ぼくは喜んで死んでゆきたい」。
死の直前、ピカソに「現代最高の画家」と讃えられ、ブラックによって深い賛辞を受けたクレーは、そのあふれる才能を抱えたまま、スイスへの帰化を希望しながら結局はナチズムの嵐が吹き荒れるドイツ人のまま生涯を閉じたのです。
★★★★★★★
パウル・クレー財団(ベルン美術館)蔵