静かに正面を見つめる威厳に満ちたプロフィールは、ホイッスラーの母アンナ・ホイッスラーです。
おそらくは敬虔で潔癖で慎ましい人生を送ったであろうこの夫人の美しい生きざまが、画面の落ち着いた色調のなかで鈍い輝きを放っています。
「お母さん」…と画家の声が聞えてきそうな、厳格なのに暖かい、世界で一番有名な母親の肖像画です。
この作品のみごとさは、まさしくその計算され尽くした構成にあります。カーテン、壁に掛けられた絵、そして夫人の背中、前面、曲げた膝から上の部分と膝から足元への線….. これらはすべて直線をなしており、この作品は、水平線と垂直線のみで構成された整然たる構図に支配されているのです。
それは完璧と言って良いほどの揺るぎ無さで、その中に夫人の喪服とレースのフォルムが変化を与えることで、この絵は呼吸をしているのです。
そして、黒と灰色と白というハッキリ言って地味な色が絶妙のバランスで配されることで、おそらくホイッスラーの目的としたところは十分に果たされたものと思われます。
アンナ・ホイッスラーは妹ケイトに宛てた手紙のなかで、息子が
「母さん、僕のためにモデルになってくれないかい。ずっと母さんの肖像を描きたいと思っていたんだよ」
と言い出したのだと述懐しています。頬の血色も良く、生き生きとした母を美しく描いてみたいと願ったホイッスラーの気持ちが、こちらにも十分に伝わる素晴らしい作品です。
ところで、ホイッスラーと言えば当時、やや奇矯なダンディぶりや人々の意表をついた逆説でくってかかろうとする論争好きで、誤解を受けやすい画家でしたが、とりわけ、1876年ころから盛んに自作に用いはじめたシンフォニー、ハーモニー、アレインジメント、ノクターン…といった音楽的題名は人々の不評を買っていました。彼に好意的な美術雑誌でさえ、
「シンフォニーなどといった別のジャンルの用語を絵につけるのは誤りである」
と書いたほどです。
しかし、ホイッスラーが意図したのは、当時の人々の、絵が何らかのストーリーやメッセージを伝えるための手段だという思い込みに対する挑戦の意思表示だったのです。彼は音楽に耳を傾けるときのような純粋な気持ちをもって、絵は絵として、それ自体の美しさを目的として観賞すべきだと主張したかったのです。頑なな思い込みによってではなく、純粋な美としての絵画の確立が彼の願いでした。
後年、G・ムアが
「ホイッスラー氏は、美術から主題という悪習と、画家の使命は自然の再現にあるとする信念とを一掃するに他のいかなる画家にもまして貢献した」
と述べることになりますが、それは彼が晩年を迎えるまで待たねばならない評価だったのです。
★★★★★★★
パリ 、 オルセー美術館蔵