ここは、どこなのでしょう。青い月明かりの中、石畳の道の両側にスフィンクス像が並び、それはずっと限りなく続いているように見えます。そして、道の途中には旅人らしき人物が一人…..。歩を進めるというよりは、立ち止まって物思いに沈んでいるようにも見えます。もしかすると、これは作者自身の姿なのかもしれません。
フランティシェク・クプカ(1871-1957年)は東ボヘミアに生まれ、最初は馬具屋の徒弟として働きますが、その馬具屋が有名な降神術者だったことから、神秘思想はクプカの生涯と芸術に強い影響を与えることとなるのです。さらに、最初に美術教育を受けた工芸学校の教師、1889年に入ったプラハ・アカデミーの教師も精神主義的象徴主義を奉じるナザレ派の画家であったことも若いクプカの柔らかい心に与えたものは大きかったに違いありません。
クプカが育ったボヘミアを含め19世紀後半の中部ヨーロッパには、フランスのレアリスム、印象派、後期印象派などの前衛的な思潮はまだ広まってはいませんでした。むしろ、19世紀初頭にドイツから流れ込んだ、中世の古い宗教芸術の復活をうたったナザレ派の伝統が強く生き続けていたのです。そういう意味で、ナザレ派の画家たちの持つ理想主義的寓意性や象徴性は、クプカにとって非常になじみ深いものでした。
さらに、彼は幼少のころ、母を亡くしています。その影響か、現実逃避の傾向も強かったと言われています。そんな繊細なクプカだからこそ、寓意的な象徴によって精神世界を描くのはごく自然なことだったのかもしれません。古代ギリシャ哲学、ドイツ哲学、天文学や化学、さらに占星術や錬金術にも興味を持って追求し続けたクプカだからこその独自の世界観は、絵画でこそ表現し得たものだったのではないでしょうか。のちに神秘的な抽象作品を描くようになるクプカでしたが、その芸術の初期には、こうした夢のような作品を多く制作しているのです。
この道は、恐らく果てしなく続く道なのでしょう。行き暮れた旅人は立ち止まり、途方に暮れ、やがて自らの人生を思い、その選択をかすかに後悔しながら、それでもまた思い直して歩み始めるのかもしれません。1900年前後、クプカは道や旅人に特に関心を示し、繰り返し描いています。
★★★★★★★
プラハ、 国立美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎象徴派の絵画
中山公男・高階秀爾編 朝日新聞社 (1992-03-15出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎カルポス
同学社 (1995-09-20出版)