この作品が制作された時期、ルノワールは色と線に折り合いをつけ、よりしなやかな画風をかもし出すようになったと言われています。ルノワール自身も、
「今度はうまくいくと思います。とても柔らかで色も豊かに、明るくできています」
と、画商であるデュラン・リュエルに宛てて手紙を書いています。
その言葉を証明するように、解き放たれた幸せが繊細な筆先から豊かにこぼれるような作品です。洗濯する女性たちがせっせと手を動かしながら、それでも絶えずおしゃべりでもしているのでしょう….画面には笑い声が満ちています。そして、そのうちの一人が立ち上がり、幼い息子に、
「遠くまで行っちゃだめよ」
などと注意しているのでしょうか、手を後ろに組んだ男の子は、ちょっぴり不満そうです。
1885年の秋に、ルノワールははじめて、妻アリーヌ・シャルゴの故郷であるフランス中部オーブ地方のエッソワの村を訪れました。エッソワがとても気に入ったルノワールは、やがて、ここに住まいを購入し、アトリエまで建て、ついにこの土地は、ルノワールにとっての心のふるさとになってしまうのです。そんなわけで、ここに描かれている女性はアリーヌ・シャルゴ、男の子はおそらくまだ幼かった長男のピエールだろうと思われます。
この時期、彼はアングル調の明るい色調を捨てることなく、徐々に量感と輪郭をより柔らかいものにしようと思考していたようです。そんなルノワールの想いを、このエッソワの地は満たしてくれたのでしょう、そののびのびとした喜びに満ちた筆触と色彩に、彼の笑顔が重なって見える気がします。
エッソワの働き者の女性たちに注ぐルノワールのまなざし…。それは上流階級の少女や貴婦人たちに対するものとくらべ、どこかとてもくつろいでいるように感じられます。なぜエッソワで制作するのか、と聞かれて、「パリの高くつくモデルから逃れて、シャンパーニュ地方の農民を描き、川辺で洗濯する女たちを描くためだ」と語った彼は、自らを省みて、ボヘミアンが一家を構えるにふさわしい場所はここだと感じていたのでしょう。
ルノワールはエッソワでの滞在をとても楽しみ、その人好きのする性格もあってか、すぐに村人とも打ち解け、結局、のちに、この村の墓地に家族とともに埋葬されることとなります。
★★★★★★★
ボルティモア美術館蔵