虹のように輝く浴室です。
壁の黄色は光とともにあり、点描のようなタイルは深い青と輝く黄色で彩られ、バスタブの中の裸婦は薔薇色です。「生命ある色彩を描きたい」と願ったピエール・ボナールの思いが、そのまま結晶となったような浴室なのです。
裸婦像は、ボナールが最も得意としたテーマでした。そして、彼が描いた裸婦のほとんどが妻のマルトだったのです。マルトは本名をマリア・ブールサンといい、比較的病弱で繊細な女性でした。ボナールとマルトはとても似た気質を持っていたようで、お互いに、煩雑な人間関係が苦手でした。二人は1925年に南仏のル・カンネルに小さな別荘を購入し、以後、そこで慎ましく暮らしています。
裸婦像の中でも「浴槽に身を横たえる裸婦」のテーマには、暖かい光があふれています。それは、モデルのマルトがリラックスしていることで、画家自身も幸福感にひたりながら、一筆一筆、色を置いていくことができたからかもしれません。マルトは、絵のために特別ポーズをとることはありません。ただ浴槽に浸かるだけのマルトを、画家は30年近く描き続けたわけです。しかし、何気ない日常をこそ最も大切なものと感じていたボナールには、いつもすべてが新鮮で幸福でした。
ところで、浴室の裸婦といえば、まずドガの作品を思い浮かべる人も多いことと思います。ドガの裸婦は、どこかそっと覗き見るような視線で描かれています。彼は、古代ギリシャの彫刻をもとに、斬新な構図を用いて描きました。裸婦たちには人格は感じられず、完全な素材としての存在となっていますが、そんなドガの作品に、ボナールやロートレックは強い影響を受けたといいます。
19世紀に入って、衛生面からも入浴の習慣ができ、家の中にトイレと浴槽が同居する化粧室というスペースが出現しました。これによって、「入浴する女性」という新しいテーマが出来上がったのです。
ボナールの妻マルトは、おそらく病的な潔癖症だったのではないかと言われています。そのため、日々の入浴を欠かすことができませんでした。おかげで彼は、「浴槽に横たわる裸婦」のテーマを得ることができたのですが、マルトは、家の中に浴槽のある19世紀だからこそ、平安に生きることができたとも言えそうです。ボナールにとって、浴槽の中のお湯は病弱な彼女の生命を守る羊水のようなものであり、浴槽は母なる子宮そのものだったのかもしれません。だからこそ、ボナール作品の中のマルトは、何年経っても歳をとることがなかったのです。
★★★★★★★
個人蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派美術館
島田紀夫著 小学館 (2004-12出版)
◎週刊美術館 14 ―ロートレック/ボナール
小学館 (2000-05-16発行)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)