プトレマイオス朝最後の王となったクレオパトラ7世は、オクタヴィアヌスとの戦いに敗れ、敗残の身をさらすのを嫌って自らの命を絶ったと言われています。クレオパトラ自害の主題は、17世紀イタリア絵画において非常に好まれたものでした。
今まさにクレオパトラを噛んだばかりのコブラが、彼女の白い腕を伝ってスルスルッと逃げようとしています。周りを囲む侍女たちは悲しみと絶望をたたえ、それぞれの表情で冥界に旅立とうとする女王を見守ります。背景の暗さがやや舞台上の一場面めいてはいますが、椅子に座って息絶えた女王の理想的な美しさ、髪の一本一本にまで神経の行き届いた描写に、観賞する私たちの目は釘付けとなります。
こうした主題を借りた官能的表現は、当時の注文主たちに大変な人気を博していました。グイド・カニャッチ自身、1650年のヴェネツィア旅行を機に、魅惑的な半裸の娘を描くことが多くなっています。そして、この種の作品によって、彼は国際的な評価を得るに至ったのです。
中世の宗教美術には、女性の裸体像を描いたものは殆どありません。しかし、ルネサンスに入ってからは、古代のギリシャ、ローマの神話が堂々と主題にされるようにようになり、神話の中の登場人物が裸体像として表現されることが非常に多くなりました。また、聖書を主題として裸体像を描く機会は少ないものの、最初の人類アダムとエヴァの物語はその数少ない機会のうちの一つでした。こうして、イタリア的な典雅な裸体像はパトロンたちの要望も相俟って、より現実的に優雅にバロックへと引き継がれていったのです。
作者のグイド・カニャッチ(1601-1663年)は、17世紀半ばのエミーリア地方で活躍した画家であり、グイド・レーニの弟子であったことから、古代ルネサンスの美を理念とする古典主義の画家であったと言えます。師レーニの洗練された古典主義絵画の伝統、ラファエロから得られるルネサンス的美の世界が彼の根底にあったことは間違いありません。しかし、カニャッチは、そこにバロック風の大胆な遠近法や壮麗な構図への興味を組み合わせました。そして豊かな色彩が加わることによって、グイド・カニャッチならではの優美かつ繊細で、どこか異世界をすら思わせる独特の画風が確立されていったのです。
ところで、クレオパトラ7世は複数の言語を自由に操るなど、非常に知的な女性であったことが知られています。カエサル、アントニウスなど多くの権力者を魅了した女王は、カニャッチが描いたほどの美貌の持ち主であったわけではなく、その内面的な魅力、知性によってこそ輝いた女性であったのかも知れません。こののち、プトレマイオス王朝は滅び、エジプトはローマの属州となりますが、そんな国の運命を見通しつつ自らの矜持を貫いた運命の女王は、カニャッチの手でこの上なく美しくたおやかな姿で、画面の中に永遠にとどめられているのです。
★★★★★★★
ウィーン美術史美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎クレオパトラ(上)(下)
宮尾登美子著 朝日新聞社 (1999-11-01出版)
◎西洋絵画の主題物語〈2〉神話編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎バロックの魅力―光と影が織りなす生命の輝き
中山公男総監修 同朋舎出版 (1997-01-10出版)