小さな胸に手を置いた幼な子は、本当にぐっすりと眠ってしまったのでしょう。その無防備そのものの信頼の姿に、聖母は思わず手を合わせてしまう……そんな二人のそばを、時は静かに過ぎていこうとしています。
しかし、牧場に憩う聖母子の姿はのどかで美しいはずなのに、ここに漂う寒々とした雰囲気はどうしたことでしょうか。ここでは、聖母のヴェールも、すでにピエタのマリアを想わせます。無邪気に眠るみどり子の表情までも悲哀のいろに浸されて、鑑賞する私たちもはっと胸を突かれたように無口になってしまうのです。
この作品は、ベルリーニ晩年にしばしば登場する、風景を背景とした横長画面の聖母子画の最初の作品であり、その詩情豊かな風景描写でも非常に評価の高いものです。こうした表現は、詩的感情にあふれたヴェネツィア風景画の誕生と無縁ではありませんでした。
14世紀以降、ヴェネツィア共和国は内陸に領土を拡大し、15世紀末には北はアルプスの麓、西はミラノに至るまで広大な領土を獲得していました。そんななか、ヴェネツィアの貴族たちは交易活動のかたわら農場経営にも乗り出すようになり、その拠点として田園地帯に別荘を建てるようになります。すると、その田園地帯でのひとときが、それまで都市空間の喧噪のなかで過ごしてきた人々の心を意外なほどに深く癒すようになり、そうした習慣に伴って、ヴェネツィア絵画のなかの風景表現の占める位置も重要なものになっていきました。
また、もう一つの要素として、ルネサンスの詩人たちが、ウェルギリウスに代表される古代の詩の伝統にならって美しい自然をうたうようになったことも大きかったことでしょう。古代詩人たちの表現する森や田園、美しいニンフ、牧童たちの住む緑なす樹木に囲まれた豊かな大地は、まさに人々の夢見る理想郷だったのです。
この作品でも、聖母子のテーマそのものは伝統的な宗教主題なのですが、その背後に広がる風景はウェルギリウスの『農耕詩』の世界そのものだと言われています。その詩のなかに
「長い蛇にとっては憎むべき、白い鳥のやってくる時…..」
という一節があり、画面向かって左に描かれた鳥と蛇は、まさにこの詩から想を得たものなのかも知れません。
それにしても、丘のあたりは緑豊かに木々が葉をつけ、牛や馬や人々は野に憩うのに、聖母子に近い左手の木だけは一枚の葉もつけることなく立ち尽くしています。そして、その枝には黒い烏が止まり、不吉な時間の経過を暗示しているようです。
幼な子の寝姿を見つめながら、聖母はわが子の来るべき運命を予感し、その死から護るように思わず手を合わせ、祈らずにはいられなかったのかも知れません。過ぎゆく時が止まればいいのに、この子がいつまでも赤ちゃんのまま、私の手のなかで眠り続けてくれたらいいのに…..。母ならば当然抱く想いを、選ばれたただ一人の女性であるマリアもまた、ごく自然に抱いたのではないでしょうか。
ベルリーニは「マドンナの画家」と呼ばれています。彼はおそらく15世紀で最も多くの聖母子画を制作した画家だったことでしょう。その数、約100 点….。工房制作のものを除いても、かなりの数にのぼったと思われます。彼の敬虔な精神は、半世紀におよぶ長い画歴のなかでも、他の画家のものとはひと味違う雰囲気をもった、深く心にしみ入る聖母子画に最も愛情をこめて注がれたように感じられます。
★★★★★★★
ロンドン、 ナショナル・ギャラリー 蔵