マントを頭から被り、思い思いのマスクをつけた人々は、ヴェネツィアの仮面舞踏会の伝統的な出で立ちです。人々の熱い視線の先には、ヴェネツィアに連れて来られた「犀」というエキゾティックな動物がいるのです。画面向かって右上には、このエピソードを正確に記述した張り紙が描かれていますが、実際、この異国の動物の見世物は、1751年、ヨーロッパ中の評判となりました。
ただ、ここに描かれた犀には、特徴的な角がありません。その大きさ、迫力に圧倒されて、画家が角を描き忘れたとも考えられますが、もしかすると画家の興味は、熱狂する人々にこそあったと考えるべきなのかも知れません。その証拠に、この小屋の中の人々の熱気は十分に伝わってきます。さまざまな表情で犀に見入る人々は、一様に息を呑み、この初めてお目にかかる動物に興味津々です。そこが、街中の情景を理想化せずに描くことを得意とした風俗画家ロンギの面目躍如というところなのだと思います。
18世紀ヨーロッパ社会では、中産階級の政治的、文化的要求が増大していました。人々は、宮廷の贅沢に対する反感を強く持っており、そこから日常的なありふれた描写を好むようになります。風俗画は、そうした中産階級の芸術とも言うべきものであり、名もない人々の日常の光景を描いた絵画のことでした。中でも、ピエトロ・ロンギは、贅沢さを描くことに殆ど関心を示さなかったことで特筆すべき画家であったと言えるでしょう。
ピエトロ・ロンギ(1701-1785年)は、金細工職人の息子として生まれ、ヴェネツィア、ボローニャで絵を学びました。初期の頃には歴史画や宗教画も手掛けましたが、大規模な装飾画が求められた18世紀ヴェネツィアの画家たちの中ではあまり成功しなかったようです。しかし、40歳頃になってから風俗画に移り、日々の小さな出来事を比較的小さなカンヴァスに描くことで独自の分野を開拓したのです。この作品も、62×50㎝と、決して大きいものではありません。そして、同時代の新奇な出来事を、実際に現場に赴いて写生したシリーズ作品のうちの最初のものでした。
ところで、当時の殆どの画家たちは外国人のパトロンを探さなければなりませんでした。しかしロンギは、地元の後援者や収集家たちのために仕事をしたのです。それだけ、彼の作品が人々の生活に密着していたことの証しかも知れません。また、ロンギの穏やかな作品には、没落から目をそらそうとする当時の貴族たちの内なる憂鬱を、ひととき忘れさせる効果があったのかも知れません。
繊細で明るい色彩ながら仮面を多用したロンギは、貴族社会を透徹した目で追求し、時にはそれと分からないほどの注意深い風刺によって真実を突いた、啓蒙時代の画家と言えそうな気がします。
★★★★★★★
ヴェネツィア、カ・レッツォニーコ 18世紀ヴェネツィア美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ著、宮下規久朗訳 (日本経済新聞社 2001/02出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)