何て幸せそうな寝顔なのでしょう。深い眠りの中で楽しい夢でも見ているのでしょうか、少女の膝の上で猫も安心しきった様子で眠っています。
ルノワール(1841-1919年)の滑らかな筆遣いは、若いころの絵付けの修業が生かされたものと言われます。彼はしばしば人物に当たる光や影の部分を、ピンクや青という当時としては意外な色遣いで柔らかく表現しました。この作品にもその効果は生かされ、眠る少女は光の中に溶け込んでしまいそうです。
しかし一方、伝統的な絵画表現において、人物の実在性は絶対的なものでもありました。その点からいえば、ルノワールの描く女性たちは明るく柔和な光彩の中で光と一体になってしまいそうであり、堅牢な人体表現からは遠いものだったかもしれません。人物表現を最も重要なテーマと考えていたルノワールにとって、自らの美しい表現と伝統的な理念には矛盾が横たわり、それが大きな壁のように感じられてもいたようです。
だからこそ、若いころのルノワールは、グレールの画塾で知り合ったバジール、モネ、シスレーらと戸外での風景画制作にいそしみつつ、エコール・デ・ボザール(官立美術学校)での勉強やルーヴル美術館に通っての模写をやめることはなかったのでしょう。ルノワールの中には常に新しい表現への興味と、伝統的なものへの尊敬の念が同居していたように思われます。
この作品は、第7回印象派展に出品されたもののうちの1点でしたが、実はこのころ、印象派の画家たちの間には様々な軋轢が生じ始めており、ルノワール自身、出品をしぶった様子がうかがえます。伝統的なものを尊重したルノワールは、また、他の多くの画家たちと同様、サロン(官展)への志向も強く、それによって上流階級の顧客も多くなっていました。ですから、「印象派の画家」と呼ばれ、何か革新的な芸術家であるかのように取り沙汰されて、パトロンたちに敬遠されることも避けたかったのです。そうした様々な事情を考慮したとき、この第7回展は、ルノワールを含めた印象派の画家たちがそれぞれの進む道を示した展覧会だったと言ってもいいのかもしれません。
ところで、ルノワールは比較的、作品の中に動物を描き入れることの多い画家かもしれません。くつろいだ様子の上流階級の女性や子供たちとともに、ごく自然に動物たちが画面の中に登場していて、有名なものでは「シャルパンティエ婦人と子供たち」、「猫を抱く少年」、「ジュリー・マネ」などが挙げられるでしょう。
動物を家畜としてではなくペットとして飼うことは、長い間、一部の貴族階級の特権でした。しかし、19世紀になると、新興のブルジョワ層がペットを愛好するようになります。ペットを飼うことが、社会的地位の象徴にさえなっていたのです。そうした社会背景も手伝って、ルノワールの作品にはしばしば動物が描き込まれるようになったのでしょう。ペットの肖像画専門の画家まで登場したといいます。
しかし、もしかすると理由はそれだけではなく、ルノワールは動物…….特に猫好きだったのではないかという気がします。1855年から、フランスでは犬に税金をかける法律が制定され、ブルジョワ階級の人々は特に好んで犬をペットとしたようですが、ルノワールの作品には、実は猫が非常に多く登場するのです。猫の柔軟さ、心地よい毛並み、女性の腕の中にすっぽりと収まる大きさなども手伝って、ルノワールにはその神秘的な動物が、ひときわ好もしい存在に感じられたのかもしれません。
★★★★★★★
ウィリアムズタウン(アメリカ)、 クラーク美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎ニャーンズ・コレクション
赤瀬川原平著 小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派美術館
島田紀夫監修 小学館 (2004-12出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)