何とも不思議な作品です。奏楽を楽しむ裸婦と二人の男。しかし、リュートを奏でる若い貴族と牧童には裸婦たちの姿が見えていないようにも感じられます。実は、水差しや笛を持つ女性たちは、水や風のニンフなのです。小川のせせらぎ、風にそよぐ木々の音が聞こえてきそうな平和な情景となっています。
この作品の作者については諸説ありますが、今では、ジョルジョーネが着手し、未完で残ったものをティツィアーノが完成させたとする説が有力です。ただ、ルーヴルでははっきりと「ティツィアーノ作」としています。確かに、肉感あふれる裸婦や緑豊かな田園風景の描写から、大部分がティツィアーノの手になるものだと考えるのが自然かもしれません。ティツィアーノは、ジョルジョーネ風の様式を完全に吸収していたと思われます。
しかし、この主題の不確かさ、詩的な雰囲気は、力強く、テーマを明確に示すティツィアーノ絵画とは、やはり少し違うように感じられます。
美術史家たちの言葉を借りれば、当時の中部イタリアの絵画がヒストリア(物語)であるのに対し、ヴェネツィアの絵画はポエジア(詩)であるといいます。それは、16世紀ヴェネツィア美術のキーワードであり、ジョルジョーネらヴェネツィアの画家たちがつくり上げた伝統でした。ジョルジョーネにとって、「絵画とは詩であり、着想である」とすれば、この漠然とした抒情性こそジョルジョーネなのだという気がします。
ジョルジョーネは16世紀初頭のヴェネツィアに突然現れ、若くしてペストで夭折した天才画家であり、謎の画家でした。知られている活動期間は10年ほどであり、今日彼の真筆とされている作品は30点にも満たないのです。それはまるで、17世紀オランダの光の画家フェルメールを思い出させる少なさです。
そこには、ジョルジョーネが必ずしも公的な注文ばかりを受けた画家でなかったことが大きく影響しているかもしれません。契約書を必要としない、貴族たちの私室を飾る小ぶりな作品を、彼自身、好んだということが考えられます。特定な顧客のみをパトロンとし、顧客の好みに応じた独創的な絵画を制作することで、ジョルジョーネの作品はより洗練され、明暗のたわむれるような独特な世界に昇華されていったのです。
ジョルジョーネ絵画の質の高さに魅了された貴族たちは、競って彼の作品を入手しようとしましたが、余りに若くして亡くなったため、望みをかなえられなかった者も多かったようです。才色兼備で知られたマントヴァ侯爵夫人イザベッラ・デステもその一人でした。彼女の代理人は、
「御要望の絵はもう画家の画室にはありませんでした。2点の作品が残されていましたが、収集家はそれぞれ、彼ら自身の楽しみのために依頼したものであるから、他の人に譲る気はないでしょう」
と侯爵夫人に書き送っています。
★★★★★★★
パリ、 ルーヴル美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社(1989-06出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001-02出版)
◎ルネサンス美術館
石鍋真澄著 小学館(2008-07 出版)