この無名の青年の真摯な瞳が、単にカンヴァスに置かれた絵の具に過ぎないと信じるのは困難かもしれません。彼の深く神秘的な印象は、見る者の心を強くとらえます。
ティツィアーノ(1488/90-1576年)は、ヴェネツィア派最大の画家として並ぶ者のない存在でしたが、当時、最も評判の高かったのが肖像画でした。彼に描いてもらうことは一つの名誉であり、世の権力者たちは競い合ってその栄誉に浴しようとしました。
この光と色彩の洗練された効果を支えるわずかな白の色調のバランスを見ても、堅固なピラミッド型の構図を見ても、ティツィアーノが西欧でもっとも人気のある肖像画家となった理由が頷けます。単純でさりげない…..というより、粗くすらある様式は、当時、最も新しいものでした。それなのに、この青年の美しい存在感は、見る者の言葉を奪ってしまうのです。
色彩を最優先に考えていたティツィアーノの輝かしい経歴の中で、二度、色彩が重く沈む時期がありました。それは、最晩年に絵筆を持つのもままならなくなった時期、そして、1530年代に、おそらくは妻の死による心の支えを見失った時期でした。
しかし、1540年ごろ、マニエリスムの潮流のただ中にあって、画家は再び生気を取り戻します。そんな時期に描かれたこの作品は、実にさりげなく自然で、綿密に肉付けのなされたそれまでの肖像画とは趣きを異にし、爽やかでさえあるのです。肖像画を描く際のどこか下描きのようにさえ感じられる大づかみで素早い筆致は、画家の晩年まで試み続けられたものでした。
「ミケランジェロの素描とティツィアーノの色彩の統合」。ティントレットが工房にこの標語を掲げていたことは、よく知られています。
当時、ミケランジェロは素描の天才というより、神の域に達する巨匠として揺るぎない存在でした。そして、ティツィアーノは、ヴェネツィア絵画を「色彩的古典主義」の域にまで高めたという意味で、ミケランジェロに比肩しうる巨匠と見なされていたのです。実際、二人はその正反対の芸術観から、論争をしたことも知られています。二人の巨匠は、まったく異なる資質の持ち主とされていました。
ところが、二人には不思議な共通点があります。まず、二人とも、並外れた長寿を全うしています。そして、盛期ルネサンスの枠など易々と飛び超え、独自の世界観にまで達しているのです。
そして、ティツィアーノは、何よりも色彩優位を主張しながら、暗い背景の前にたたずむ名もない若いイギリス人男性に、確固とした形態と力強いモニュメンタルな性格を与えているのです。ここで私たちは、ティツィアーノの、ミケランジェロに劣らないみごとな素描力とセンスの良さを実感し、圧倒されてしまうのです。
★★★★★★★
フィレンツェ、 ピッティ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎ルネサンス美術館
石鍋真澄著 小学館(2008/07 出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎イタリア・ルネサンスの巨匠たち―ヴェネツィアの画家〈24〉/ティツィアーノ
フィリッポ・ペドロッコ著 東京書籍 (1995-05-25出版)