画家のアトリエにしてはにぎやかな、まるで奥行きのない舞台を思わせる空間です。
単純に不思議なのは、せっかく裸婦がポーズをとっているのに、クールベ本人と思われる画家が風景画を制作していることです。モデルさんに悪いんじゃないか・・・と心配になってしまいますが、彼女はむしろうっとりと、画家の筆の動きを見つめている様子です。
しかし、もちろんこの作品は、「わが芸術的生活の7年にわたる一時期を定義する現実的寓意画」と題されて個展に展示されたことからもわかるように、寓意画なのです。
クールベの右にいる裸婦は「真実」を象徴しており、画面の右を占める人物群にはプルードン、シャンクルーリ、そして右端で本に目を落としているボードレールなど、クールベを精神的に支えた人々が描かれています。
また、ボードレールの左にはクールベの経済的支援者だった富裕な美術愛好家夫婦も描かれ、そして、右手の奥には未来への希望を象徴する若い恋人たちもいます。
つまり、右のグループは、クールベにとっての愛すべき存在たる人々なのです。
一方、左側の人物群は時代を象徴する庶民の姿だと思われます。
カンヴァスの左側で赤ちゃんにお乳を飲ませているのはアイルランドの女、左端にいる髭の男がユダヤ人で、これはロンドンの街角で出会って強い印象を受けた人物なのだと、クールベ自身が友人宛の手紙で説明しています。しかし、実際にクールベはロンドンへは行ったことがありません。
また、画面半分の中央では二人の大道芸人を相手に布地商人が商品を広げ、ユダヤ人の後ろには司祭、その右には1793年の革命に参加した老人、長い帽子をかぶった葬儀人夫や失業中の労働者、娼婦の姿もあります。そして、その右の聖セバスティアヌスは打倒すべきアカデミー美術を表しているのだそうです。
つまり、左のグループは寄せ集めめいた人々、時代を反映した、光も救いもない世界にうごめく人々なのです。
ボードレールの持つ薄明かりの雰囲気の中で、しかし、クールベは決してあきらめているわけではありません。彼の左側に立っている子供は、無垢な感受性をもって自然に対することを寓しています。
つまり、大げさに言えば、右半分を占める人々に助けられながら、自然を素直に見る術を伝え、この世界に光をもたらす使徒でありたいとクールベは願っていたのではないでしょうか。レアリスムの芸術が普遍の表現であり、19世紀中葉という時代の現実に光をもたらすものだと信じたのかもしれません。
この作品は、1855年のサロン(万国博)に出品を拒否されたため、万国博会場前に小屋を建てて個展を開催して出品したもので、官展審査員の否認に挑戦したいわくつきの大作です。
暗い世界に光をもたらすことが使命だと信じたクールベも、やがて成功に酔って明るい世界へ脱出してしまうのですが、この時期、無心な視線で存在に対峙する充実感を大切にしていたことは確かだったと思います。
★★★★★★★
パリ、ルーヴル美術館蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎名画への旅〈第18巻〉/19世紀〈2〉都市のユートピア
鈴木杜幾子・隠岐由紀子・馬渕明子・太田泰人・大原まゆみ・高階秀爾著 講談社 (1993-04-20出版)
◎新潮美術文庫 ク-ルベ
新潮社 (1975-09出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)