台所で一心に食器を洗う女性の頭部から背中にかけて、天上のものを思わせる繊細な光が射しています。質素で日常的な場面でありながら、なんと神秘的で神々しい瞬間でしょうか。そこに置かれた壺もフライパンも皿たちも、一つひとつを照らし出す光の描写は、どの画家にも真似ることのできない、クレスピならではの世界と言える気がします。
ジュゼッペ・マリア・クレスピ(1665-1745年)は、いまだアカデミックな様式を好む画家たちのもとで学びました。しかし、彼は因習にとらわれない画家だったのです。初期の頃、ボローニャでフレスコ制作をしたのち、クレスピは18世紀幕開けの数年間をフィレンツェで過ごしています。この経験は、彼の画家人生に大きな実りをもたらしたようです。
ここでクレスピはメディチ家のフェルディナンド大公の後援によって、当時人気を博していたアレッサンドロ・マニャスコと直接知り合うことができたのです。マニャスコは鋭い諷刺精神のきいた風俗画や特異な幻想的ヴィジョンで知られる魅力的な画家です。それまでアカデミックな画風で、伝統的な神話画や祭壇画を描いていたクレスピには、世界が大きく動き出した思いだったのではないでしょうか。さらに、彼はフランドル絵画にふれる機会も得ました。フランドルの風俗画の持つ独特な親密性、美しさはおそらく画家の心を決定的に捉えたことでしょう。そうした経験から彼は、市場や台所の情景、農家や室内のごく私的な風景を描くようになっていくのです。
しかし、クレスピの場合、それがどんなに日常的な何気ない場面であっても、内側には神秘的な要素が秘められていました。この『皿洗い女』も、タイトルから受ける印象からは程遠い形而上的な美しさに満たされています。台所の中の物たちを照らし出す神の眼差しのような光とすべてを包む静謐さは、すでにフランドル絵画を乗り越え、クレスピという画家の至高の技と精神性をみごとに開花させたものと言えそうです。
ところで、クレスピは教育者としても優れた人物でした。弟子には、ピアッツェッタ、ピエトロ・ロンギなどがおり、18世紀ヴェネツィア絵画に与えた影響は広く、大きいものだったと言われています。
★★★★★★★
フィレンツェ、 ウフィッツィ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎新西洋美術史
千足伸行監修 西村書店 (1999-11-01出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ著、宮下規久朗訳 (日本経済新聞社 2001/02出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)