やさしく美しい計算された色彩、のびやかな線の動き、単純化されていながらきちんと要所をとらえた形体….そして、タイトルのとおり、彼女はなんて幸せそうに眠っているんでしょう。まさに夢見る彼女の…いいえ、夢そのもののような表情があまりにも美しくて、一度見ると、しばらく目を離せなくなってしまう作品です。
彼女の顔半分、そして首から肩にかけてを覆うピンク色の、なんて素晴らしいやさしさと生命感….ピカソというと、その名前だけでなんとなく敬遠していた私には、本当に心の目を見開かせられた、ただただ心にくいばかりの秀作です。こんなに幸福感に満ちた…幸福感そのもののような女性の絵を私は今までに見たことがないような気がします。いつも奇異に感じていた横顔と正面の顔の組み合わせも、ここでは明るい夢幻性への扉のように見えます。
この作品のモデルは、おそらくマリー・テレーズ・ワルテルというまだ年若い女性で、この作品の描かれた1932年、ピカソ51歳の年から彼女と共同生活を始めています。二人が出会ったのは1927年の1月、ラファイエット百貨店の近くでのことで、そのとき彼女はまだ17歳で、高名な画家であるピカソをまったく知らなかったと言われています。マリー・テレーズは驚くほど美しく、落ち着いた、深みのある彫刻のような美しさだったそうです。ピカソはこの美しいモデルに飽きることがなく、その優雅な姿を彫刻、絵画、版画などで表現し続けました。
この時期のピカソは、円、楕円、曲線を基本とした女性像を頻繁に描いています。そこには、キュビスム、新古典主義、シュルレアリスムなど、彼が体得してきたさまざまな手法やスタイルが総合的に成就されていると言ってもよく、その中でもこの作品は代表的なものだと思われます。
しかし、そうした手法の….たとえば、有名なキュビスムにしても、一見精密に分析的理智で構成されているように見えますが、ピカソにとっては、それを利用することが一番快い表現方法だったに過ぎないということが言えるような気がします。現在でも、評論家や美術の専門家といった人たちがピカソのキュビスムについて語るとき、キュビスムの持つさまざまな教理や手法について取り上げるだけで、ピカソ イコールキュビスム…といった一般的なかたちで語るにとどまってしまうことが多いような気がします。
しかし、ピカソにとってキュビスムは、それが彼の根本を支える確固たるものだったというわけでもない気がするのです。彼は、もっと、子どものような感性と興味で作品と向き合っていたのではないでしょうか。たしかにピカソは、キュビスムの成果を自らの内的なものの一部にまで完成させていはいました。しかしそれは、必要に応じて彼の作品のなかに顔を見せるものであって、彼にとって大切だったのはあくまでも、いつも新しい直接的な視覚の運動であり、彼はいつもウキウキしていたかったのだ…という気がしてなりません。
★★★★★★★
ニューヨーク、 個人蔵(ヴィクター・W・ガーンツ夫妻)