月明かりに照らされたパリの街を静かに見下ろすのは、パリの守護聖女 ジュヌヴィエーヴです。節度ある古典的な構図の中にたたずむ彼女の姿は、非常に象徴的でありながら瑞々しく、情感あふれる美しさで描き出されています。
聖ジュヌヴィエーヴは5世紀ごろの人と見られており、幼いころにオーセールの司教ゲルマヌスに見いだされて信仰の道に入ったと言われています。やがて若くしてパリに出て、善行と瞑想に打ち込み、預言者として名声をはせるようになります。しかし、何と言っても彼女は、アッティラ率いるフン族がパリに迫ったとき、恐れる市民を説いて踏みとどまらせ、敵を退却に追い込んだこと、そしてキルデリクがパリを占領したとき、飢饉に瀕した市民のためにトロアへ船を出してこれを救った功績で知られているのです。
パリのパンテオンは当初、ジュヌヴィエーヴに献げる聖堂として計画され、1885年までは聖ジュヌヴィエーヴ聖堂と呼ばれていました。その壁面装飾には、カバネルを初めとする当時の第一級の画家たちがあたっています。装飾は1874-78年と93-98年の2期にわたっていますが、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824-98年)はその2期ともに参加しているのです。
ピュヴィスの描いた「聖ジュヌヴィエーヴ伝」の連作は殊に有名ですが、この「眠れるパリを見守る聖ジュヌヴィエーヴ」は一番最後に描かれたものでした。ピュヴィスらしい抑制された優雅な画面に、どれほどの人が魅了されたことでしょうか。
それにしても、この晴朗な色彩を見るとき、この作品は間違いなくフレスコ画だと感じてしまいます。しかし、実際には462×226cmの画布に描かれた油彩作品なのです。ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの壁画は、いつもその洗練された雰囲気と静けさによって上質なフレスコの趣きを醸し出しているのです。彼は、19世紀最大の壁画家と言われていました。このパンテオンを初め、パリ市庁舎、リヨン美術館、ボストン公立図書館、マルセイユのロンシャン宮、そして教会や個人の邸宅にいたるまで、ピュヴィスへの壁画の注文は絶えることがありませんでした。
しかし、彼が最大の壁画家とうたわれる理由は、多くの壁画作品を残したからではないのです。ピュヴィスは、それぞれの場所にふさわしい主題を選び、建物と調和させることで作品に命を与えることのできた画家だったのです。簡潔な構図、穏やかな色彩感覚、そして何より装飾的である点もまた、壁画に求められる大切な要素でした。
ピュヴィスの作品は、いつも静けさに支配されています。大げさな身振りや荒々しい感情表現はありません。しかし、そうした声高さ以上の象徴性と叙情性に、私たちの心はひたひたと満たされていきます。静かなジュヌヴィエーヴの姿に、鑑賞者はそれぞれの思いを込め、ため息をつかずにはいられないのです。
★★★★★★★
パリ、 パンテオン 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎NHK オルセー美術館〈4〉/後期印象派・楽園への旅立ち
隠岐由紀子編 日本放送出版協会 (1990-05-30出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 1996/05 (1996-05出版)