満月に照らされた青く澄んだ夜空を背景とした、清らかで少しひんやりとした単純すぎるくらいのイメージ….でも、ここには本当に清らかな、ルソーらしい神話の世界が広がっています。
「一人の放浪の黒人女が、マンドリンと水差しをかたわらにして、くたびれきって眠り込んでいます。ライオンが通りかかって匂いをかぐのですが、食べはしません。これはとても詩的な月のせいなのです」。ルソーは故郷のラヴァル市にあてて、そう手紙に書いています。しかし、1897年のアンデパンダン展に出品されたこの作品は、批評家たちには嘲笑されました。この美しい作品も、当時は単純すぎるイメージと背景で、決して受け入れられることはなかったのです。
考えてみると、ルソーの作品には常に嘲笑がついてまわった気がします。しかし、彼はそれを意に介さなかったふしがあります。というより、彼のあまりにも無垢な人柄が、人々の負の意識をもすべてプラスに変えてしまっていたのではないかと思われるのです。
たとえば、彼が1890年のアンデパンダン展に「風景の中の自画像(私自身、風景=肖像画)」を出品したとき、ある新聞の批評家は、「ルソー氏は絵画の革新者だ。氏は風景=肖像画というものを発明した。ひとつ特許をとっておくことをおすすめしたい」と皮肉たっぷりに書いたといいます。するとルソーは、「新聞に出ていたとおり、私は風景=肖像画の発明者なのです」と、ある手紙の中で無邪気に自慢しているのです。
そんなルソーの作品には、やはり稚拙な印象があります。それは、細部をただの一つもおろそかにしない点に大きな原因があるのだと思います。しかし彼にとって、この世界のすべてのものが明確な輪郭と色彩をもっていて、決して大ざっぱなスケッチや斑点で済ますことはできなかったのだと思います。そして、これは彼の人柄そのものであり、絵によってこの世界を所有したいという、ちょっと子供っぽいくらいのルソーの深い願望の表れでもあったと思われます。
「両親に資産がなかったので、私の芸術的趣味が要請したものとは別の職業にまず就かねばならなかった」と自ら語っているように、ルソーが積極的に絵を描き始めたのは40歳を過ぎてからでした。しかし、この遅い出発にもかかわらず、長い無名の年月のなかで、みずみずしい感性をずっとはぐくみ続けることのできたルソーのちから、感受性の豊かさには驚嘆せずにはいられません。普通、人は年齢と共に、子供のころの精神の、内なる楽園を捨てていってしまうものですから…。それをルソーが捨てることなく希求し続けることができたのは、まさに明確な無意識の無垢のちから以外の何者でもなかったような気がします。
★★★★★★★
ニューヨーク 近代美術館蔵