晩年のモネは白内障のために視力が衰え、しかも二人目の妻アリスにも先立たれて、非常に孤独でした。でも、そんな状況の中でも、すさまじい執念で睡蓮を描き続けています。生涯を賭けた仕事をやり遂げようとする人間の姿が、ここに見えます。
モネは、邸に隣接した沼地に「水の庭」をつくり、1899年ころからこの庭を描き始め、1906年ころになると、睡蓮を中心とする「水の庭」は、彼の芸術生活の中心をなす場所となります。
印象派の画家の第一人者でもあるポール・セザンヌは、
「モネは目にしかすぎない。だが、なんという目だろう!」
と感嘆しています。しかし、その見たままの印象をあるがままに描くことに徹しようとしたモネも、完全に客観的にはなり得なかったような気がします。それは、視力の衰えのせいばかりではなかったかも知れません。
晩年になるにつれて、形にとらわれるよりも、抽象的な印象を増してゆく「睡蓮」を見ていると、モネの作品が単なる観察と記録としての絵画表現を超えてしまったのだと感じます。モネは、無限に変化する光の効果の表現を通して、作品を、現実の世界から光の世界へ昇華させてしまったのではないでしょうか。
水に溶けていってしまいそうな睡蓮を見ていると、その微妙な色合いに、こちらまで魔法にかけられたような気分になってしまいます。
太陽の光と水に反射した光に包まれて、モネは心の眼で見た睡蓮を描いているのだろうと思います。
★★★★★★★
パリ、 オランジュリー美術館蔵