15世紀はフィレツェの世紀であり、メディチ家の世紀とも呼べるものでした。コジモ・イル・ヴェッキオ、ピエロ、ロレンツォ・イル・マニフィコと続くフィレンツェ共和国の実質的支配は、かつてない平和と繁栄、そして文化と芸術の大輪の花をフィレンツェにもたらしたのです。
そんな15世紀後半のフィレンツェを代表する画家サンドロ・ボッティチェリ(1444/45-1510年)は、ロレンツォ・デ・メディチの庇護のもと、花形画家として一世を風靡しました。その優美で洗練された画風と抒情的作風は当時の人々を魅了し、画家自身もまた揺るぎない地位を築いたのです。
ところが、1490年代以降、サヴォナローラの宗教的影響を強く受けたことで、その作風は一変します。1492年に、最大のパトロンであった豪華王、ロレンツォ・イル・マニフィコが死ぬと、「虚栄の焼却」で知られるサヴォナローラの狂信的な説教や混乱した政治状況が、ボッティチェリに大きな変化をもたらしたのです。
彼は、厳しい内省の時期を迎え、神経質で苦悩に満ちた作品ばかりを制作するようになります。それは、どこか精神的な安定を欠いた、破壊的なものですらありました。
この作品は、そんなボッティチェリの最晩年のものであり、おそらくは、最後の作品であろうと言われています。
中央の「キリスト降誕」の図では、あまりの不安定さに、生まれたばかりのイエスは尻もちをついているように見えます。そして、聖ヨセフは、まるでこの誕生を嘆き悲しんでいるかのように頭を抱えます。聖なる馬屋の屋根には、聖三位一体を示すと思われる3人の天使がいますが、彼らの王冠は飛び上がっています。さらに、東方三博士と羊飼いたちも礼拝に訪れていますが、彼らもザワザワとどこか落ち着かない動きを見せているのです。
下部には、3人の天使と3人の詩人が抱き合っており、喜びを表しています。しかし、なぜか彼らの態勢は不自然で無理があり、そのそばには、地の裂け目に落ちようとする悪魔の姿も見受けられます。
一転して、画面上部には、天使たちが輪になって飛び回っていますが、彼女たちが浮遊する天には、ぽっかりと穴が空いて、その向こうは全くの異世界のようにも感じられてしまうのです。
さらに、上端には、ギリシャ語で謎めいた銘文が書き込まれています。すなわち、
「私、アレッサンドロは、この絵を1500年の末,イタリアの混乱の時代、一つの時代と半分の時代の後、すなわち、聖ヨハネの第11章でいわれる悪魔が3年半のあいだ解き放たれるという黙示録の第2の災いの時に描いた。やがて悪魔は、第12章に述べられているように鎖につながれ、この絵におけるように〔地に落とされる〕のを見るであろう」
とあります。
つまり、節目の年、1500年末(1501年初め)に描かれた、と記されているのですが、注文主や制作の意図はいまだに判然としていません。ここには、晩年、孤高の画家となったボッティチェリの激しい精神性と宗教的傾倒が吐露されているのかもしれず、一時代を謳歌した画家の、精神の均衡に変化があったと見るべきなのかもしれません。
しかし、ここに見られる色彩の鮮やかさは、ややマニエリスム的ではあっても、決して画家のそれまでの功績を貶めるものではありません。108.5×75cmという大作にあふれる人体のうねりやエネルギーも、若いころのボッティチェリの雰囲気とは違っているにしろ、衰えを知らない情熱は強く見る者を動かさずにはおかないのです。
この見事なテンペラ画は、ローマのアルドブランディーニ家に所蔵されていました。
★★★★★★★
ロンドン、 ナショナル・ギャラリー 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎聖母のルネサンス―マリアはどう描かれたか
石井美樹子著 岩波書店 (2004-09-28出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ、宮下規久朗編 日本経済新聞社 (2001-02出版)