窓を開いて、朝の日射しを部屋中に満たそうとしている若い女性が描かれています。
水差しを持っているのは、窓の向こうに咲いている花に水をあげようとでもしているのでしょうか。窓の枠にかけた手の二の腕に一条の光がきざまれて、これから部屋いっぱいに明るい朝の空気と光が流れ込んでくるのを感じさせます。いつもの朝の、変わらない日課を描いたものでしょうが、なんて汚れのない、安らかで明るい光景でしょうか。室内画家の第一人者フェルメールの本領が十分に発揮されている作品です。
フェルメールはレンブラントとともに17世紀オランダを代表する視覚の画家です。現実的視覚から明晰で純粋な精神性にまで、その絵画を昇華させたフェルメールは「光の画家」とも呼ばれています。そして、彼の光は窓の光なのです。すべてのドラマと光を導く窓を、フェルメールは描き続けているのです。
もちろん、窓の光に対して敏感なのは、霧深い北国のネーデルラント地方の画家に特有のものですし、風景画家が戸外に出て制作するまでは、すべての画家が室内の光の中で制作していたわけで、フェルメールだけが特別ではありませんでした。でも、それにしてもフェルメールは、執拗なくらいに窓際や窓にこだわり続けています。窓を感じさせない作品はないと言ってもいいくらい、窓から差し込むさまざまな光の推移が彼の作品に表情を与え、命を与え、澄明な空間を与えているのです。
当時のオランダ絵画においては、背景の闇を背にして人物が浮かび上がるという手法が主流であったのですが、フェルメールは肉眼によって見ることのできるものだけを描いて、背景の見えない闇を追い払ってしまいました。そのことだけでも、フェルメールに「光の画家」の名はふさわしいですし、「窓の画家」と言い方もできそうです。
また、この作品と対をなすように黄昏のおだやかな光が描かれているのが「真珠を秤る女」です。そして、この作品にもやはり、ほのかではありますが光が、そして窓が描かれているのです。安らぎに満ちた表情で天秤を持つ女性を、魂をはかる大天使ミカエルの姿に見せてしまうのも、わずかに差し込む光の効果に違いありません。
窓と光の画家フェルメールの清らかな境地は、時代を超えて私たちの心を満たしてくれます。
★★★★★★★
ニューヨーク、 メトロポリタン美術館蔵