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「竜と戦う聖ゲオルギウス」

 パオロ・ウッチェロ (1456年)

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 純潔を象徴する白馬にまたがり、聖ゲオルギウスが竜を仕留めた瞬間、恨めしそうに、悲しそうに見上げる竜の鳴き声が遠くの山々にこだまし、私たちの耳まで届いたような錯覚を覚えます。その傍らには命を救われた美しいお姫様…..。まるでギリシャ神話の中で、アンドロメダ姫を救う英雄ペルセウスの物語のようです。
 この聖ゲオルギウスの竜退治は、聖セバスティアヌスと並んで、多くの画家たちに好まれたテーマでした。その勇壮な姿がいかにも絵画的であったのはもちろんですが、どちらかというと画家たちの興味は、ヒーローよりも悪者の竜のほうにあったようにも思えます。いかにして架空の怪物である竜を描くか….それぞれの作品の個性の違いに、画家たちの腐心ぶり、研究ぶりがうかがえて面白いところです。

 伝説上の騎士聖人 聖ゲオルギウスは、小アジアのカッパドキア出身の殉教聖人です。『黄金伝説』によると、彼が、トルコの西部リュデアのシレネを通りかかった際、湖の竜の生け贄として捧げられた王女を見つけます。じつは、この湖には恐ろしいドラゴンが住んでいて、シレネの人々は、このドラゴンをなだめるために羊を毎日2頭ずつ捧げていましたが、そのうちに羊が少なくなってしまったため、今度は羊1頭と若い人間を捧げるようになったのです。ところが、そのために若者の数も少なくなってしまい、困った王はとうとう自分の娘を捧げることになってしまったのでした。
 王は8日間嘆き悲しんだあと、王女を湖のほとりにおいて戻ってきたのですが、そこをたまたま通りかかったのがゲオルギウスだったというわけです。彼は、ドラゴン退治に乗り出す決心をしました。そして、王女にこの場を去るように言って戦いを始めましたが、なかなか決着がつきません。そこで固唾をのんで見守る王女に、腰帯をドラゴンの頭に投げるように頼みます。王女が言われたとおりにすると、ドラゴンは急におとなしくなりました。そこでゲオルギウスは竜を町までひきずっていき、王と廷臣たちの前でドラゴンを殺したと伝えられています。
 このあと、ゲオルギウスの勇姿を見て、多くの人がキリスト教に帰依しました。彼は王たちに、つぎのことを守るように言って町を後にしたとされています。すなわち、教会をつねに敬うこと、司祭を大切にすること、ミサを厳かに行うこと、貧しい者を絶えず思いやること….の4つのことがらでした。
 一人の聖者によって異教徒の国がキリスト教に改宗すること….これを異教を象徴した竜を殺すことで表現した物語ですが、王女もまた、異教の国の擬人化であると言われています。しかし、もとはキリスト教の信仰による異教征服…というものものしい主題も、幾世代にもわたって語り継がれるうち、このように魅力的な画像表現となって人々の心を躍らせる物語に姿を変えていくというのも、人間の創造力の豊かさの証明のように思います。

 ところで、この鮮やかな色彩で物語世界を描き出したウッチェロは、イタリアのフィレンツェ派の画家で、モザイク師でもありました。繊細できめの細かい表現は、そのあたりからもきているのかも知れません。また、彼は、幾何学と遠近法の研究でも有名な画家でした。そしてヴァザーリは、これらの研究は常軌を逸したものであったと記しています。たしかに、ウッチェロの一生は、遠近法を愛し、遠近法に賭けた生涯でした。彼の作品は完璧すぎる遠近法の理論にしたがって描かれ、美しいというよりは、非常な息ぐるしさ、めまいをすら覚えると評する人もいるほどです。
 ウッチェロがイタリア15世紀の偉大な芸術家の列に加わっているのには、もちろん彼が遠近法を独創的に用いた画家だったことが大きいのは間違いありません。しかし、ヴェネツィアでの修業時代に受けた国際ゴシック様式の装飾的感覚に負うところもまた、大きかったのではないでしょうか。ウッチェロは何よりも装飾性を本質とする画家だったのです。
 この色彩豊かな聖ゲオルギウスの竜退治もまた、計算され尽くした空間表現、科学的合理的な画面でありながら、なんという幻想的な美しさでしょうか。私たちはここに、少しも居心地の悪さを感じることはありません。ウッチェロの、写実を超えた奇想、豊かな想像力と創造性に、ひたすら感嘆し、夢の物語世界に引き込まれてしまうばかりです。 

★★★★★★★
ロンドン、 ナショナル・ギャラリー 蔵



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