• ごあいさつ
  • What's New
  • 私の好きな絵
  • 私の好きな美術館
  • 全国の美術館への旅

「緑色の歌手」

エドガー・ドガ (1884年)

ジャンプ

ここをクリックすると、作品のある
「WebMuseum, Paris」のページにリンクします。

 下からの光を浴びて、歌うことにだけ意識を集中させている歌手は、まだあどけなさの残る少女のように見えます。彼女の胸や腕はそのフットライトによって微妙な陰影をつくり、繊細な動きを見せながら、とてもなめらかに美しく描かれています。また、衣装やバックに走っているパステルの細かい線はドガ独特の光の表現であり、ライトによって作り出された光が絶えず変化しながら息づいている様子が臨場感をもって語られているようです。
 このように、人の動作とともに光のたわむれの一瞬をとらえて描くことに絶妙な力量を発揮してくれるドガは、やはり印象派の最重要メンバーの一人なのだと実感させてくれます。

 しかし、彼は他の印象派の画家のように戸外における光のきらめきを描くことに興味を示しませんでした。というより、むしろ戸外は嫌いだったようです。
 その証拠に、ある母親が自分の息子を自慢して、
「まだ15歳にもならないのに、自然をとても忠実に描きます」
と語ったのを聞いて、ドガは
「15歳でもう自然を忠実に描くなんて、あなたのお子さんは絵には向いていませんよ」
と言っています。そして、
「まず何よりも大家の模写をすべきです。一つの風景を立派に仕上げるのも、結局、画室以外にはないのです」
と断言したといいます。
 つまりドガは、感興が直接に与えるもので満足したり、素朴な美しさに心を楽しませることができるような画家ではなかったのです。そうするには、彼はあまりにも古典の鑑賞家としての教養が深すぎました。
ですから、他の印象派の画家たちが、光のきらめきの中で、描く対象を色の波にまで解体してしまったのに反して、ものの輪郭や構造を確保し続けることに絶対的な価値を置き続けたのだと思いますし、そこにドガの古典主義の真髄が見えます。

 感性においてはダイナミックに新しい時代を呼吸しながら、頑固なまでに伝統主義者でもあり続けたドガは、新と旧が独特に混在する、ある意味では孤高の人だったと言えると思います。
 しかし、この作品の中の少女には風が吹き、光が宿っています。彼女の緊張と生命のきらめきの一瞬が、ドガによって崇高な永遠に昇華されてしまったようです。

 戸外に出ることを必要とせず、風通しの悪い場所をあえて好んだドガは、古典主義と印象主義をみごとに結びつけながら、閉ざされた空間の中でこそ人間やものや光の運動を追求し、画面の中に定着させることができるのを実証し続けた画家なのです。

★★★★★★★
ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵



page top