本当に、緑響く清らかな森と、それを倒影する湖。そこを一頭の白い馬がアクセントになって、軽やかに歩んでいます。
東山魁夷の作品には、なぜいつもこんなにすがしい風が吹いているのでしょうか。絵を見ただけで深呼吸したくなってしまう画家って、なかなかいないと思います。そして、白馬に呼応するかのように、森の中の木の幹が一本だけ白くて、なんだか、そこに永遠の生命が意識を持って宿っているようで、胸がいっぱいになってしまいます。
このゆったりとした時間と空間の中に、私たちは画家の内面の美しさをとても自然に感じることができます。
この作品を描いたとき、東山はある絵に詳しい人から、「白い馬がよけいだな」と言われたのだそうです。
でも・・・と、これは私の個人的意見に過ぎませんが、白馬は東山魁夷自身だったのではないかという気がします。画家の魂そのものが、この白い馬の姿となって、この作品の右から左へゆっくりと歩んでいるのではないでしょうか。
東山魁夷は『白い馬の見える風景』という画集の中で、この絵の扉に、「弦楽器の合奏の中をピアノの単純な旋律が通り過ぎる」と書いています。
また魁夷は、「モーツァルトのピアノ協奏曲K488番の第2楽章を聞いていると、ピアノはオーケストラを引き立てるかのように、謙虚に演奏されている」と述べており、それを白い馬の密かな出現になぞらえているのです。
緑の森林のオーケストラの中を、ひそやかに歩む白馬のピアノの旋律・・・。その穏やかで清らかな楽章は、いつまで見ていても飽きることがありません。
★★★★★★★
長野県信濃美術館、東山魁夷館蔵