暗い牢獄の中で一心に祈りを捧げる聖女…..彼女は聖アグネス。教会で、もっとも早くから崇敬された殉教聖女の一人です。殉教当時、まだ13歳だったといいますから、その面差しの幼さにも胸を突かれます。そんな聖アグネスを見かねてか、天使が白い布で彼女を包み、神の愛を伝えようとしています。
聖アグネスは、ディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒迫害の時代、ローマに生まれた聖女です。『黄金伝説』によると、ローマの長官の息子にしつこく言い寄られたアグネスは、自分はすでに天上の花婿と結ばれているからと言って固くこれを退けたといいます。断られた若者は恋の病に倒れ、それを知った長官はアグネスを召還します。そして、彼女がキリスト教徒であることを知るや、ローマの神々に供儀を行うように命じ、もしもそれに従わないときは娼家に送ると脅しました。
アグネスは全裸でローマの街を引き回されますが、このとき奇跡が起こり、髪がみるみる足元まで伸び、全身を覆ったといいます。そして、娼家に着いてからは、一人の天使が現れてアグネスを輝く光で包み込み、人々の目から隠してくれたのです。ですから、この場面は、牢屋のように見えますが、娼家の一隅なのかも知れません。
やがて、あきらめきれない長官の息子が再び強引に迫ったとき、彼はついに悪魔の力によって殺されてしまいます。そのため、アグネスは魔女として火に投じられました。しかし炎は彼女の体を焼かず、かえって刑吏たちに襲いかかってきたのです。それで結局、最後には、首を刎ねられて殉教したと伝えられています。
ところが、アグネスの死後、彼女の両親は、白い子羊のそばにいる彼女の姿を見たとも言われています。そのため、通常、聖アグネスの持ち物は白い子羊とされていて、聖女の足元にうずくまるか手に抱きかかえられて描かれることが多く、クラナハなどは『聖ドロテア、アグネス、クニクンデ』の中で、まさにそのように描いています。これは、アグネスの名がラテン語で子羊を意味する「アグヌス」(agnus)からきているからだといった説もあるのですが、実際は、聖女の名は純潔を意味するギリシア語からきているのです。しかし、聖なる白い子羊とともに両親のもとに現れたのが本当だとしたら….この清らかな少女の痛々しい死を思うとき、私たちはどんなにか救われる思いのすることでしょうか。神の国で安らぐアグネスの笑顔が温かい光に包まれていることを、やはり祈らずにはいられないのです。
ところで、この聖アグネスの殉教の物語は、バロック期の絵画….とりわけスペイン、イタリアでは、好まれた主題でした。そして、17世紀ナポリ派絵画の始祖と言われ、宗教画を多く残しているホセ・デ・リベーラもまた、聖セバスティアヌスやマグダラのマリアとともに、好んだ主題の一つでした。リベーラは、初期のころの作品こそ、左上方から差し込む強烈な光による厳格な明暗法と入念な写実描写を特徴として、まさにカラヴァッジオ絵画の影響を大きく受けた作品を残していますが、1630年頃から背景の闇にも明るさが加わって、力強い筆致の、大胆な作風に変わっていきました。特に女性像には独特の華麗さと官能性が加わり、忘れがたい美しい作品を多く描いて、ナポリでも主導的な立場の画家となっていました。
リベーラは若くしてイタリアに渡りましたが、もともとバレンシア近郊ハティバ生まれのスペイン人画家でした。ですから、スペイン副王の庇護のもと、母国スペインに送られた多くの彼の作品とその様式は、17世紀前半のスペイン美術界に大きな影響を与えたのです。リベーラほど、ヨーロッパで幅広く名声を得たスペイン画家はいなかったかも知れません。しかし、その名声の底には、スペインが彼に与えた透徹したリアリズム精神があったのであり、その精神的な特質は、スペイン絵画の伝統をこの上なく豊かにするものでした。そして、それはやがてゴヤ、ベラスケスなどに確実に引き継がれていくものだったのです。
★★★★★★★
ドレスデン国立美術館 蔵