美しく優雅な聖カタリナは、やさしい微笑を浮かべて目を伏せています。この場面は彼女の幻視であり、神との精神的な結びつきを示すものでもありました。
幼な子イエスから指輪を受ける聖カタリナは王家の生まれで、女王となった博識の女性であったと伝えられています。砂漠の隠修士から洗礼を受けてキリスト教に改宗し、キリストと神秘的な結婚を行う幻を見た聖女であることでも知られています。
アレクサンドリアの皇帝マクセンティウスはカタリナとの結婚を望み、それを拒絶されたため、彼女の信仰を議論によって打ち崩そうとします。しかし、それに失敗した皇帝は、今度は50人の哲学者を送って彼女に挑戦させますが、議論が終わってみると、哲学者たちのほうがキリスト教を信奉するようになってしまったといいます。このため、哲学者たちは不幸なことに、洗礼も受けないうちに火刑に処されてしまいました。そして、カタリナは斬首されてしまったのです。
そんな悲劇的な身の上の聖カタリナですが、この作品の中では暗い背景のもと、側面から差し込む柔らかい光の中で至福の表情をたたえています。彼女の豪華な衣装の驚くほどに精緻な描写、胸に置いた指のしなやかさ、柔らかい巻き毛、白い顔……と、すべては巨匠コレッジオの影響を見てとることができるようです。
やんちゃそうなイエス、どこか憂いを帯びて見守る聖母マリア、そして天使たちの醸し出す甘美な情景は、聖なる人々もまた生身の人間であったことを優しく再認識させてくれるのです。
アンニーバレ・カラッチ(1560-1609年)は、17世紀絵画において特別に重要な位置を占める巨匠であったと言われています。従兄のルドヴィーコ、実兄のアゴスティーノとともに16世紀末のボローニャで活躍し、自然で人間らしいイメージを模索し続けた画家だったのです。彼はティツィアーノやコレッジオの作品からルネサンス様式を学び、それを近代的な手法で処理しようとしました。1595年以降は制作活動の拠点をローマに移し、以後、ローマは最も近代的な芸術活動の中心地となったのです。
カラヴァッジオの写実主義に対し、アンニーバレの様式は折衷的なアカデミスムと考えられ、しばしば対立した存在と思われがちです。彼のこの甘美な画面を見れば、それは無理からぬことなのかもしれません。しかし、カラヴァッジオもアンニーバレも目指したところは同じ、自然に即した人間らしい表現だったのではないでしょうか。
ところで、聖カタリナの遺骸は天使たちの手でシナイ山の修道院に運ばれました。このセント・カタリナ修道院は世界最古の修道院として世界遺産に指定されており、現在でも20人の修道士が厳しい修道生活を送っているということです。
★★★★★★★
ナポリ、 カポディモンテ国立美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)